母とドラクエ

ドラゴンクエスト。ドラクエ。
両生類がドラクエをまともに遊べたのはSFCの3だ。
性格診断、仲間を自分で作って旅ができる。
簡単な2択をいくつかやって、両生類の性格は『ごうけつ』だった。当時はごうけつの意味がわからなかった。今ならわかる。ごうけつは強い。


当時は小学3年か4年だったから、仲間の名前を他のゲームのキャラクターにしたりして、それで遊びに来た友達に笑われて恥ずかしかったりして。
あの時の仲間はそれ以降酒場待機になり、その代わりに魔王を倒したのはクラスの友達だった。

ストーリーはよく覚えてないけど、ジパング、なんかオーブ集めた、あと鳥はなんとなく覚えてる。
よくわからずに進めてたらお家に帰れなくなって終わった、のが感想だった。


あとすごろく。すごろくはよく覚えてる。というかすごろくしかしてなかったのではないか、我が勇者は。

物語を完結出来たのは3が初めてだけど、1,2,5,6はなんとなくわかる。4が抜けてるのは両生類の家にファミコンがなかったからだ。
両生類は気が短いのもあって他のナンバリングは大体序盤、例えば5ならプックルが出てきたくらいで他のゲームに心を奪われてしまっていた。

でも、両生類はドラクエには強烈な思い出がある。
それは母だ。お母さん。マイマザー。

両生類の母は変わっていて、研究肌というのだろうか、何かを始めると突き詰める傾向がある。
クロノトリガーの全エンディングをビデオ録画したり、メトロイドのマップをエクセルで書いたり、トルネコの大冒険の未鑑定のアイテムと鑑定済みのアイテムを合わせるカードみたいなものを作ったり。

母のこだわりは凄いと思う。メトロイドのマップは某攻略サイトにまだ載っている。

そんな母はドラクエも突き詰めた。我が家で攻略本が読めるようになるのは母が突き詰めてからだった。
両生類がやり遂げた3も、両生類のファイルで同じパラメータの3キャラを作り、経験値テーブルや能力値の上がり方を記録していたのを覚えている。

ドラクエの収集要素、ちいさなメダルも母は集めた。集めて、集めた場所を記録した。
その母の背中を見ても、あちこちの地面を調べて調べて調べて、何が楽しいかはわからなかった。今でもわからない。

それでも、5まではよかった。それまでならなんともいえない思い出になってたから。

6が出てから、両生類のドラクエの思い出はある呪文で固定されてしまったのだ。

ドラクエ6は夢の世界と現実の世界、そらとぶベッド、ダーマ神殿、ハッサンのぱふぱふ、ドランゴ。
自力で旅をするのを諦めた両生類も、見てるだけでわくわくする事が沢山あった。
母がゲームをしてるのが好きだった。色んなモンスターを仲間にして、それを見せてくれたから。大人になった今でも最後までいけてないけど、ロビンが強い、は知っている。

旅をして、モンスターを手懐けて、両生類が寝る間もドラクエの音が聞こえて、日曜の朝もドラクエの音で目が覚めた。大冒険だったのだ。あの時までは。

朝、呪文の音で目が覚めた。また呪文、呪文、呪文、呪文。とにかく呪文。あの独特の音が止まらないのだ。
隣でドラクエをしてる母を見ると、最初の街でひたすら呪文を唱えていた。レミラーマ。

レミラーマは戦っていないときに使える呪文である。唱えた場所にまだ見付けていないアイテムがあると、キラッとした音と光でその場所を教えてくれるのだ。

ドラクエといえばちいさなメダル、なにも無さそうな場所にアイテムがあるゲームである。
そして、両生類の母は突き詰める傾向にある。
導き出される答えは──

母は、今まで冒険してきた場所全てにレミラーマの絨毯爆撃を行っていた。

ちょっと歩いてレミラーマ、またレミラーマ、レミラーマ、きらんっ、レミラーマ、たまにルーラ。またレミラーマ、レミラーマ、レミラーマ。

本人は真面目にやっているのだけども、こっちは全然楽しくない。誰かの話が聞けるわけでもなく、モンスターと戦うわけでもないのだ。
さきにいかないの、と母に聞いたら『これ全部やらないと先に進めないの』と言っていた。うそつき!

母がゲームをするのは大体夜遅くか朝早くである。
ゲーム機と布団が近かったから、まさにおはようからおやすみまでレミラーマ地獄だった。
ドラクエ6は色んな街、ダンジョンがあって世界は広かった。母は全ての場所をレミラーマで染めた。よくやったもんだ?いいや、大迷惑だ!

今でもドラクエの呪文といえばと聞かれるとレミラーマと言えるくらい強烈な思い出になっている。っていうか、むしろトラウマだ。

ドラクエは大好きで、母や兄、友達との沢山の思い出をドラクエが運んでくれた。でも、レミラーマは嫌い。これだけは嫌い。レミラーマは用法容量を守って正しく使うべきである。

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