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人々の、実家を卒業するタイミングはいつなのか。

最高にゆるゆる過ごした実家から、夫の待つ京都へ戻ってきて一週間。
生活のリズムを取り戻すため、一度もnoteを更新できなかった。

お盆中に仕上げようと思っていた記事を、やっと書き始めている。まさに、夏休みの宿題のよう。学生時代、この8月下旬は宿題、作文、工作が溜まり泣いていた記憶。小学生の頃は、親にヘルプをし、工作を作ってもらっていたから、自分で工作したことってなかったような。

さてさて、実家に戻っていた1ヶ月弱の間。
母の料理を楽しみ、娘と遊び、父と二人で話したりしていたのだけど、暇すぎて“母の忙しすぎる状況に心配したり、弟の事業に心配したり”と、心配性が度を越してきていた。
その心配事を、今参加している岩熊さんの会で相談したのだけど、結論、「キキさんは、実家にいて暇すぎるから、実家のことに気が向きすぎている。もう結婚をして、子供も生まれ、大切にするのは夫と娘、未来。」と言われた。
仰る通りすぎて、ぐうの音も出なかったのだが、今まで必要以上に気にしすぎていた実家のことを『見守る』ということに変えて、夫と娘に集中!と言う風に切り替えがうまくできなかった。

幸い、夫と再開するのは1週間後。実家への滞在が残り1週間となっていたタイミングだったので、『心配事』に向けていたエネルギーをどこか違う方に変えようと思い、思いついたのが『自分のルーツを探す』。
家系図でも作ってみようかなと。

もう実家に帰ってのんびりできることも少ないだろうし、この数年で祖父母や親戚のおばさんも亡くなり、昔のことを知る人が減ってきたからだ。
お盆のタイミングとも重なっているので、ご先祖様を知ってお参りすることにしようと。

実家は、祖父母の代で分家した家で、それ以前のご先祖様は実家にはいない。お恥ずかしながら、ご先祖様について知ろうとしたことがなかったのだ。


実家にいる、残りの一週間でルーツ探しをしてみた。

家にあった戸籍謄本をメインにして、近くに住む叔母の家もたずねて話を聞いた。結局、家系図として分かったのは高祖父母までだったし、話を聞けたのは曾祖父までだったのだが、今回聞けて、心から良かった。

家は、分家で小作農だろうから、大した話もないだろう、なんて勝手に予想していたが、失礼な話で、誰にだってその人だけの物語がある。

しかも、話を聞くと思いもよらなかった話を色々聞けた。

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江戸時代後期から、塩田が盛んな地域で、塩田の収益のおかげで、村はとても豊かだったこと。豊かな村を守るために、入婿・入嫁をして、内輪で発展させようとしていたから、同じ姓の多いこと多いこと。

塩作りの自動化に伴い、何か新しい事業をと始めたのが、「海苔づくり」で、親族の一人が、海苔づくりをスタートし、ゆくゆく漁業協会まで発展して栄えたこと。

曾祖父はとても勉強家で、本を読んでは、読んだことを実行に移す人だったこと、小学校の校歌の作曲は親族だったことなど。当たり障りのない、同じ苗字だったから気にも留めなかったが、いろんな人がいたんだなぁとシミジミし、墓参りにいった。

会ったことのない、だけど物語のホンの一片を聞きかじった方のお墓参りは、今までとは違った。彼らのおかげで、今の私たちがあると。

ルーツ探しが楽しかったのと同時に、私にとって、実家からの卒業にもなった。タイトルに書いた、「人の実家を卒業するタイミングはいつなのか」について。

大学進学を機に、実家を出ていた自分にとって、もうすでに実家は、とっくの昔に卒業した存在だと思っていた。

結婚をして、更に実家が遠くなったのも事実。

だけど、私には新しい家族より実家の方が、馴染みの深い家族だったのだ。

今回、戸籍謄本を読みながら、家系図を実際作ってみて。
私はこの家系図の、「家系」を受け継ぐ人間ではないんだと。

弟を家系のメインにして、図を作っていきながら、私は新しい家系にいくんだと実感した。


これからも、大好きな家族に変わりはない。
だけど、実家を卒業したんだと実感した夏、それをご先祖様と家系図が教えてくれた。

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