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慮って発信し、行動する。その先に、次元の違う変化を起こす。

中学生時代、敬意を払っていた教師がいて、その先生が3年間担任だった。担任は『慮る』という言葉を大切にしており、教室の前に、達筆で『慮る』という文字が掲げられていた。

『慮る』とは、よくよく考えることです。配慮することです。配慮とは、人に対して、心を配る行動です。
と教わっていて、無垢だった自分は、自分なりに慮る行動をするように心がけていた。

卒業の時、尊敬する担任から「あなたの人を慮る姿勢や行動に救われた3年間でした。」という言葉をもらい、辛かった中学生生活が報われた気持ちになった。

今でも、私自身『慮る』という言葉を大切にしているのだが、ふと、20年前の教師の言葉が蘇ったのにはワケがある。

     ◇

今、御堂本なつさんが主催されている無料オンラインビジネス講座に参加。50名以上の方が参加し、各自ブログを書き、メンバー同士のやり取りはChatworkを利用しながら進めている。

その中で、講座がスタートして1ヶ月程度たったので、各自ブログ状況の振り返りをしようと提案があった。各々共有をしていく中で、メンバーのお一人が、方向性もターゲットも定まらず、悩んでいるようだった。私も似たような悩みを持っていたので、気になっていた。

振り返りをとても綿密にされていて、分析力のある方だなぁと思って読んでいたのだが、その中にこんな一文が。


ブログを訪れてくれた人は、記事を読んでも、わたし自身のことはあまり感じず、情報だけ取ってしまって、1回ぽっきりで終わっているとも言えますね。うう…。

「ええ、そんなことない!興味あるよ。寂しいこと言わないで。」

と思って、迷った挙句、メンバーで共有し進めてるChatworkにアドバイスを送信した。
そもそも自分はブログを書き始めたばかりで、振り返りもしてないのにだ。
アドバイスと言えるものは何もないのに、どうしても気になって送った。

すると、その方から「言いにくいこと言って下さってありがとうございます!」という返信や、他の方から「○さんのキャラは良いと思います!」というやり取りがなされていって・・・

あれ、言いにくいこととか何も言ってないはず
あれ、何だか思ったように伝わってない・・・
あれ、私、否定したようにとられてる?
あれ、なんでだ、なんでだ・・・

と自分が送信したメッセージを見直すと、驚きの内容だった。かいつまむとこんな感じ。

あなたのブログは、とても遠い存在に感じる。
△さんんと比較して、共感しづらい。
難しくてついていけない。
いきなりすみません~

否定的に要約したからであるけれど、読む人によっては、かなり否定的に捉えられる内容だった。お前何様だ、っていう。
正直、すごく焦った。

あなたに興味あります!って伝えたかったのに、全然伝えられてない。
むしろ、否定的に取られてしまってる気がしてならない。

まずい。でも、今の私には、うまくメールで伝えられる自信がない。
と思い、共有のチャットではなく、その方に直接メッセージを送ってやり取りをした。


やっぱりその方は素敵な方で、気を遣わせてしまって申し訳ない。アドバイスありがとうということ、自身のことを整理できました◎と、それはそれは丁寧に言葉を綴って下さったのだ。

彼女をはじめ、岩熊コミュニティの方々は、相手を慮った行動や発信をされる方ばかり。だからこそ、私の言葉足らずの発言にも、背景や意図を汲んで頂けている。

   ◇


発した言葉は、発したその人の言葉の意図ではなく、相手がどう受け取るかだ。言葉を発した時点で、相手に解釈の権利がある。

どうして相手を慮れなかったのか。
共感せず、言葉を進めてたのがよくなかったのか。
何かアドバイスしなきゃと勝手に焦っていたのか。

色々考えを巡らせながら、反省した。

表面的なことや、書き方の問題でなく、根本的に慮ることをおざなりにしてきてしまった結果という結論に達した。中学生の頃は友達が少なく、イジメられていた。だから、常に周囲を観察し、言葉を選び、周囲に配慮した行動をとっていた。その結果が、慮ることのできる中学生となっていたのだ。

それから20年、多くの出会いや環境で、驚くほど強く逞しくなった私。仲間に恵まれ安心できる場もいくつかできた。そして、いつの間にか、他を思いやる心が薄れていたのだと。

・否定されることの怖さ
・発信した先が、安全な場かどうかの不安

を考えていなかったのだ。
否定されることを嫌うくせにだ。

否定的に思うわけがない!肯定が前提だよ。
と、伝えていないのに、相手に伝えられるだろうか。伝わるはずがないにも関わらず、慢心が生んだ今回のやり取りだった。

20年も昔に言われた、自分にとって都合の良い好評価は、宝物のように扱っていて、夫から常日頃言われる「キキはすぐに否定する」というような、都合の悪い耳障りな声なんぞ、全く聞こえもしなかった結果が今だ。

あぁ、なんて恥ずかしい。

謙虚な方々が多く集まる岩熊コミュニティにいると、自分の存在価値は何ぞや、と悩む日々だが、恥じていたとしても、現状役に立ってなかったとしても、私は私を諦められない。もっと、ここで変化した自分をみたい。
というか、超絶変化できると信じてる自分がいる。

そう思っていた矢先、岩熊さんから新企画の募集があった(募集は6/28迄)。読んだ瞬間、受けたい!!!と思って、すぐにポチっとし、すぐに、区の一時保育所を調べた。


控えめに周囲の様子をうかがっていた中学生の私はもういない。
何でも手に入れられると信じる、強気でパワフルな一児の母が今の私。
そして、将来の私は、未来日記にしたためようではないか。


◇◇◇

さて、次にバトンを渡すのは、まさに今回、講座内でやりとりをし、慮るとは何かを思い出させて下さった、猫足ふわりさんである。
岩熊コミュニティ内でピカイチの考察力を持つ彼女。高い視点から分析され、紡がれる文章。文章に留まらず、図解や写真を使って表現される力は、持ちえない視点と力であり、とにかく羨ましい。

そして、小沢健二さんをこよなく愛するふわりさんの情熱と、考察を楽しみにしているファンの一人である。

ふわりさん、バトン渡しました~!

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