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都会生まれコンプレックス

わたしは生まれも育ちも東京だ。
杉並区で生まれ、1歳のときに東京のなかでも都会の街にほど近い場所に引っ越してきた。

家の周りは住宅街で、学校や公園があり、静かな地域だが、最寄りの駅から数駅で誰もが知ってる都会駅に着く。

中学高校大学は、渋谷駅から15分くらいの学校に通った。

ドラッグストアに行く時も、電気屋さんに行く時も、洋服を買う時も、買い物はほとんど渋谷に行く。

渋谷はいちばんの馴染みの駅だ。

だから、旅行から帰るとき、渋谷に着くとやっと帰ってきた…と、ほっとする。

あんなに人が多いのに、知ってる人が歩いてるわけでもないのに、不思議だなとも思う。

ここがわたしの故郷だ。



小学校の頃、転校生が来るたびに
沖縄ってどこ?方言はあるの?
気温が高いってほんと?肌黒いね。
物心ついた時からこの地域しか知らないわたしにとってはとてもめずらしく、
他に生まれ育った町があることがなんだか羨ましかった。

大学では、関東近郊に住んでいる人が多いものの、東北、東海、関西、四国で生まれ育ったという同期や先輩と親しくなった。

昔の思い出を語るとき、〇〇(地名)にいたとき〜
と話す。
方言や独特のイントネーションで会話をする。

それを聞いて、なんだかいいなあと思っていた

それでいて、彼女らには遠くに帰る場所があって、地元の友達がいる。
やっぱり地元に帰ると懐かしいなとか、
中学時代と思い出の場所に集まって撮った写真をSNSにアップしたりなんかして。

通学路が田んぼで何もなくて、
学校にはチャリで通っててとか、

最初に東京に来たとき、電車の人の多さにびっくりしたんだよね、今ではすっかり慣れたけど、
なんて言ったりして、

こっちの生活に慣れちゃってもう地元に帰れないなーとかいってみたり。

ああ、なんか、羨ましいなと思う。
わたしにはそんなエピソードはなかった。
今住んでる場所が、物心ついたときからずっと地元。
比較することなんてできなくて、なんだかくやしい。
標準語しか喋れないし、〇〇弁をマネしてみても、どこまでも「エセ」だ。

もちろん、地元は大好きだし、
なによりも、どこに行くにも便利な場所だと思う。

都会育ちなんだねえ!憧れるなあ、なんて言われて、
ちょっとだけふふ、と嬉しく思った自分もいた。

けれどすぐに、あれ?なんで都会がいいんだろうか?
とも思う。
こんな都会生活しか知らない私は、他の町の良さも悪さも知らない。
自分がちょっと恥ずかしくなる。

〇〇のために「東京に出てきた」の方が、
すごくキラキラしてかっこいいじゃないか。

遠い地元を持つ人に嫉妬してしまう。


私の好きなバンド、SUPER BEAVERは、メンバー全員、東京育ちのバンドだ。

彼らの曲に、東京流星群という曲がある。

他のアーティストたちが自分の故郷について歌う曲がある中、
東京が故郷である自分たちの歌だと話していた。

東京流星群(Spotifyのリンク)

僕にとっての故郷は 誰かの憧れ
誰かが鼻で笑ったのが 僕の宝だ


東京流星群 見上げることもしないで
東京流星群 光が無いと言ってないで
東京流星群 同じ空に生きてるなら
輝きはいつでも 何処に居ても 変わりはしないだろう


都会コンプレックス。
持ったことある人も多いんじゃないかな。

もうひとつ、馴染みの土地を作りたいな、なんて思う。

それでも、自分の地元はいつまでも大切な場所。
ここでだって見えるもの、変わらないものはある。

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