
テストと私と未来と
学生には逃れられない定期テストには人それぞれいろんな思いがあるのではないだろうか。サイゼで勉強した思い出。ニヤニヤしながら先生が返却してきた回答用紙。
かくいう私も高校生としてテストの真っ最中である。
テスト開始の1週間前になるとテスト準備期間が始まる。
部活動は活動停止となり、職員室は奥まで入れなくなる。
授業の進みが早めの先生とは、テスト範囲より先に進めるか自習にするかのせめぎ合いが起こり、範囲をギリギリまで伸ばそうとする先生とは範囲をどこまでにするかのせめぎ合いが起こる。
テスト、それはすなわち先生と生徒の戦いだった。
テスト一週間前には部活動がなくなり非日常を少し楽しんでいた友人たちも、流石にテストが迫ってくると少しずつ顔色が変わってくる。
普段は静かで無口な秀才が急に饒舌になったり、すぐに寝てしまうゲーマーは今日こそは寝るまいと背中に長い棒を入れて授業を受けたりする。
高校2年も後半となり、少しずつ受験を意識しだすといろんな感情が渦巻いてくる。
このテストで良い点数を取らなきゃ内申がやばいとか、クラス分けはどうなるとか、そもそも定期テストで点数が取れなくて受験なんてできるのかとか。
いつもはまだそこまで意識していない受験が同じテストの中間テストとして意識により深く入り込んでくる。
世間では就職が大変とか、大学はいった方がいいとか、でも最近大学は難しくなってるとか、入試が変わるとか、いろんなことが言われている。というかみんな脅してくる。
私たちの世界は学校と家庭で大体完結していてとても狭い。特にテスト期間なんて考えられるのは数日後のテストと一年半後に迫る受験。十年後の未来、二十年後の未来を考えている暇はない。
そんなせまーい世界で、未来を悲観する大人に脅されながら勉強しているとテストが私の全てに思われる瞬間がある。
いつもなら宇宙と言われたら、マルチバース宇宙論やらブラックホールやらダークマターに心躍らせる私も、物理のテストで「第一宇宙速度」とか言われてもあんまりときめかないし、翌日の化学のテスト範囲の問題で計算ミスを連発したら世界に絶望したくもなる。
先日、もうテストが嫌すぎて一緒に絶望してた友達とお昼ご飯を食べているときにこんな話をした。
それは、私が以前小説を読んでいて見つけた「それでも君の人生は続くんだ」という言葉について。テストやばかったらどうしよう、やる気でない、としょんぼりしている友達にその言葉をかけると、私はなんだか肩の荷が下りた気がした。
テストの点数が悪かろうが、なんだろうが、テストが終わっても、テストが返ってきても、親や先生に怒られても人生は続く。
人生百年時代と言われる今日、たった2日3日後のテストを憂いて絶望するより、今覚えた英単語で世界中の人と話せる未来や、人工衛星が地球の軌道を回る速度にときめいていた方が幸せなのかもしれない。
テストはもちろんドキドキするし、ヒヤヒヤする。寝る時間になっても範囲が終わってなかったら泣きたくなる。でもその一つひとつが楽しい未来につながっているなら、世界につながっているなら頑張れるかもしれない。
タイムマシンがなくても、古典の教科書をひらけば千年前の人の暮らしが鮮やかに目に浮かぶ。数学の教科書をひらけば、たくさんの数学者が人生をかけた数式がそこにある。物理の教科書をひらけば、ボールを落とすという行動さえも式で表して目には見えない力の輪郭がわかる。英語を学べば世界中の人と繋がれる。
勉強はきっと楽しいものだ。たくさんの脅しやテストでその楽しさが薄れる瞬間はあるけど、ダメでもなんでも人生は続くんだから走り続ければいい。
やる気がなかったら「やる気スイッチ君のはどこにあるんだろ〜」と歌いながらそのスイッチを探せばいい。勉強にスイッチがなかったら勉強じゃなくてもいい。
だから明日のテストに絶望しないで、楽しく学びを続けよう。間違えても、赤点でも、人生は続くから。
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