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「アート」と「交流」を軸に多様な人を掛け合わせ、新しい可能性を生み出していく。9/25『地域とアートをつなぐ企業のあり方-大阪ガス扇町ミュージアムスクエアからひも解く、遊休不動産と芸術-』イベントレポート

omusubi不動産では「旧 藝大寮活用プロジェクト」と題して、2022年3月に閉寮した東京藝術大学(以下、藝大)の学生寮の利活用の方法を探るプロジェクトを展開しています。
これまでに、松戸や藝大にゆかりのあるアーティストによるテスト滞在やイベントなどを実施してきました。

*プロジェクト背景や、過去のイベントの様子は以下よりご覧ください。
 ・9/4 演劇ワークショップ「芸大寮最後の夜」
 ・9/11「ドクメンタ15 報告会」
 ・9/25 ワークショップ「ふうせん屋さん」

今回は、その一環として行われたトークイベント『地域とアートをつなぐ企業のあり方-大阪ガス扇町ミュージアムスクエアからひも解く、遊休不動産と芸術-』の様子をお届けします。

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ワークショップ「ふうせんやさん」も行われたこの日。暗くなり始めた頃には、また多くの人々が旧藝大寮のアトリエに集まってきました。

この日の夕方から行われたのは、「地域とアートをつなぐ企業のあり方」をテーマとしたトークイベント。
ゲストにお迎えしたのは、株式会社ナナガツ代表取締役・吉田和睦さんです。

吉田さんは、大阪ガスグループが遊休不動産活用事業の一環として運営していた複合文化施設「扇町ミュージアムスクエア(以下OMS)」に参加。その後劇団ヨーロッパ企画のマネジメントなどを経て、現在は様々な脚本家・演出家のマネジメントや、舞台の企画制作やラジオ番組の制作などに携わっています。

吉田さんのOMSでの経験からこの旧藝大寮の利活用の可能性のお話まで、芸術文化による街の活性化とそれを支える地域企業という視点からみた「地域とアートをつなぐ企業のあり方」についてお伺いしました。

まずはomusubi不動産殿塚による、今回のイベントや旧藝大寮利活用プロジェクトの説明からスタート。

殿塚「僕たちomusubi不動産は、『自給自足できる街をつくろう』というテーマのもと、遊休不動産を使ったまちづくりをしています。
今回会場となっているこの国際交流会館は、元々東京藝術大学の留学生が暮らす寮でした。今は、松戸でアーティストインレジデンスの運営を行う『PARADISE AIR』とともにテスト運営を行っており、現代アーティストや写真家、地元出身のクリエイターや劇団など20名以上の方が滞在しています。
今後の活用方法を考えていく時に、地元企業や行政、大学など、多様な方とコラボできたらより魅力的になるのではと考えていまして、今日は皆さんとも色々ディスカッションできればと思っています。」

吉田さんのトークは、ご自身の経歴の振り返りから。吉田さんは大学卒業後、大阪ガス株式会社に入社。営業として働いていましたが、5年後に念願だったOMSに異動します。そのきっかけは吉田さんが大好きなアーティストにあったのだそう。

吉田「僕は元々音楽や映画、お芝居を見るのが大好きだったんです。OMSの存在も入社前から知っていて、いつかはここで働きたいと思いながら営業をやっていました。
ある時、大好きなみうらじゅんさんのイベントがOMSで開催されることになったんです。いてもたってもいられなくてOMSに電話したら、お手伝いできることになって。みうらさんが毎晩飲みに連れて行ってくれて、もう最高の日々でしたね。その半年後にOMSに異動することができました。」

その後、吉田さんは数々の演劇の公演や映画のイベントを担当。2003年のOMS閉館までスタッフを務めました。

3年限定の劇場が10年以上愛される場に

そもそも、OMSとはどんな場所だったのでしょうか。

吉田「1980年代の初頭、大阪ガス内で遊休地活用のプロジェクトが発足しました。後にOMSとなった大阪ガスの旧北支社は、元々そのプロジェクト対象の1つだったんです。
梅田の中心地に位置していたので、当時はホテルや商業ビルにする案もあったそうなんですが、投資額が非常に大きくなることがわかって断念。そこで5人の若い企画委員が集められ、扇町ミュージアムスクエアが企画されたんです。物販に強い人、映画を年間何百本見ている人、若い感性を掴んでいる人など様々なジャンルの方が集められました。3年間の暫定利用としてスタートしたところ、大人気の劇場になり、結局2003年3月まで続くことになりました。」

OMSがユニークだった点は、まだ当時珍しかった”複合型文化施設”の形をとっていたことでした。

吉田「メインである劇場スペースの他、レストランや雑貨屋、映画館もありました。お芝居の後レストランで食事したり、映画を見て買い物してレストラン行ってという感じで1日OMSで遊ぶことができた。当時こういう使い方ができる施設があまりなかったんです。
テナントにも面白い人たちがたくさんいて。ぴあの関西支社や劇団☆新感線などの稽古場があったり、屋上に若手劇団が使用できる稽古場があったり、毎日が文化祭のような盛り上がりでしたね。」

OMSがもたらした影響

多くの人々に愛される場所となったOMSは、当初の期限を遥かに超えて18年も続きました。その結果、周囲に様々な影響を与えたと吉田さんは話します。

まず1つ目として吉田さんが挙げたのは「関西の若手文化の発信地」としての役割です。

吉田「OMS設立当初から若手への支援をしていて、関西の小劇場演劇の目標とされたり、東京の注目度の高い劇団が大阪公演をやるときの受け皿になっていたんですね。その結果、メセナ賞(*1)や大阪府舞台芸術奨励賞(*2)などを受賞しました。」

ここで殿塚から質問が上がります。

殿塚「ガス会社が始めた劇場がいきなり注目を集めるのは難しいと思うんですが、どんなきっかけがあったんでしょうか?」

吉田「代々の劇場スタッフによる自主企画公演が大きかったと思います。東京の良い劇団を呼んだり、自分たちでロングラン公演を企画していました。
それから劇団に対するホスピタリティですね。引き継がれてきたスタッフマニュアルには『東京から劇団が公演で大阪に来る際、予算に余裕がある劇団に泊まってもらうのはこのホテル、余裕がない劇団にはここ、いよいよ厳しい場合は神社にお酒を持って行って社務所に泊まらせてもらう』っていうことまで書いてあって。僕が担当した時も、東京の劇団さんが『ここまでしてくれる劇場は東京にはない』って喜んでくれました。
こうした地道な活動を続けていった結果、劇場としての評価が上がっていったんだと思います。」

また2つ目の大事な役割として、吉田さんは「周辺地区の活性化」を挙げます。

吉田「OMSがあった扇町界隈は、元々廃れていた場所だったそうです。近くの商店街にはちょっといかがわしい雰囲気もあって、特に若い人が少なかったと聞いています。
OMSができたことで徐々に若者で賑わうようになって、飲食店や雑貨屋、古着屋などが増えていきました。すぐ近くにある扇町公園では、OMSの10周年事業で周りのお店と一緒にフェスやフリーマーケットをやったという事例もありました。
演劇は公演の最後、打ち上げを絶対にやるので、近くのお店を紹介したりみんなで行ったりして街のお店との距離も近かったですね。本当に街と密接した劇場だったと思います。」

また、OMSは大阪ガスという企業に対しても影響をもたらしたと吉田さんは話します。

吉田「OMSの施設運営の実績を足掛かりに、神戸など他の関西地域の文化施設の運営も受託することができました。OMSが大阪ガスの関連会社の施設運営事業を生み出したと言えますね。」

殿塚「会社への評価にはどんな影響があったと思いますか?」

吉田「メセナという視点、つまり『企業による文化芸術支援』という切り口が大阪ガスの社会的な評価を生み出したと思います。それから最初の頃は溢れるくらい行列もできていたそうなので、『新しくて面白いことを始める懐の深い企業だ』という周囲からの評価もあったんじゃないかと思いますね。」

そんな中、2003年に閉館となったOMS。施設の老朽化や、建物の構造上十分な収入を得ることが難しかったこと、評価を受けていたメセナという分野自体が時代とともに衰退していったことなど様々な要因がありました。

閉館から19年経った今、どうしたらOMSが存続し続けることができたのか、改めて考えたという吉田さん。

吉田「1つは、カルチャーセンターやスクール事業の実施です。OMSには演劇に関わる人がたくさんいたので、戯曲の講座や俳優のワークショップなどを事業化することができたんじゃないかなと。実はOMSの後期に当時のマネジャーを中心にクリエイターによるワークショップやカルチャーセンター企画などをやったこともあって、そこにも結構お客さんは来てくれていたんです。」

また、吉田さんは運営の仕組みにも可能性があったのではないかと続けます。

吉田「例えば会員組織のような仕組みはどうかなと。用事もないのに遊びに来る人がいたり、誰もがOMSを自分たちの場所のように感じていたんですよ。そういう地元の人たちに広く支えてもらえるような仕組みがあると、より長く続けていけるんじゃないかと思いますね。
それから、複数の企業で支える体制づくりも大切だと思います。その施設によって周辺地区の魅力や価値が上がって各企業の本業に還元されるようなサイクルが作られれば、より継続していくことができるんじゃないかなと。
現在は、文化庁の助成金や生涯学習事業での補助など行政からの支援もあるので、そういった支援を受けられたら継続できる可能性も広がるんじゃないかと思いますね。」

アートと市民が繋がる方法

ここで話題は旧藝大寮へ。吉田さんは、この場所にどんな使い方を見出したのでしょうか。

吉田「例えば今日の会場であるこのアトリエは演劇公演ができそうですよね。個室として使われていた部屋もたくさんあるので、寮全体を使ってイマーシブシアター(体験型演劇)みたいなものもできそう。駐車場も広いので、物販スペースも作れそうですね。」

殿塚「なるほど。テスト滞在をした方は多様な職能を持っているので、先ほどのスクール事業のようなことはできそうだなと思いました。親子連れや高齢者などの地域の方との接点を作りやすいし、それが事業に育っていく可能性もありそうです。」

殿塚「OMSのことを踏まえると、この場所がもっと街に馴染んだら、人格を帯びて人々から愛されるようになってくると思うんですね。吉田さんだったら、どんなところから行動されると思いますか。」

吉田「例えば『京都芸術センター(*3)』という京都市の施設があるんですが、そこは古い小学校を改装していて、アーティストとパートナーシップを結んでいるんですね。センター内の『制作室』と呼ばれる教室を審査によって選ばれたアーティストが無償で利用できる制作支援事業をやっていたり、制作室を利用しているアーティストが市民向けにワークショップを実施したり。つまりアーティストの活動やアートを街に還元していく場をつくることで、アーティスト自身を支える仕組みになっているんです。そういうやり方もあるかもしれないですね。」

場所が自立し持続する仕組み

2人のディスカッションは一旦終了。質問タイムでは、会場から質問が次々と上がります。

参加者「OMSがこれだけ長く続くためには、企画など持続的できる仕組みが必要だと思うのですが、そこはどうなっていたのでしょうか。」

吉田「まず、設立当初の企画チームの人選が素晴らしかったと思います。アメリカ村の文化を作った老舗レコード店のオーナーや、後の大阪芸大の先生など、『なるほど』と思うような方々が集められていて。『新しい価値を生み出す』ということが考え抜かれていました。
また、この企画チームを集めた方が会社側と交渉して現場をやりやすくする役割も担っていたり、当時の大阪ガスの担当部長が毎回取締役会で活動やメディア効果などを報告されていたりと、会社と現場をつなぐ方がしっかりいらっしゃったことも大きかったと思いますね。」

参加者「大規模な遊休不動産活用への民間企業の参画には、どんなことが肝になると思いますか?」

殿塚「今はSDGsに代表されるように、社会的なことへの取り組みが企業に求められている時代ですよね。なので、売上以外の価値評価基準もしっかり作って、そうした価値を生み出していくという合意形成をすることが必要だと思います。」

吉田「それはまさにOMSでの反省点としてあげられることだと思います。OMS後期、経営陣からは収支のことをすごく言われていた。やっぱり売上以外の評価基準がなかったということなので、非常に重要な視点だと思いますね。」

殿塚「それから、OMSによって吉田さんのようなOBたちが生まれて活躍しているということは、企業にとって大きなメリットだと思っているんです。後から『成果だった』と言えるものも、実はたくさんあるはず。そうしたプロジェクト終了後の検証も大事なのではないかなと思いますね。」

OMSから今に受け継がれたもの

イベントの最後には、まさにOMSで青春時代を過ごしたという方からの質問が上がりました。

参加者「私はまさに青春時代をOMS周辺で過ごしました。素敵な大人たちが楽しそうに過ごしていて、あの場所で文化の匂いみたいなものを知ったと思っています。吉田さんがOMSで過ごした経験が、今のご経歴や活動にどう影響していったのかお聞きしたいです。」

吉田「OMSの後にそこで出会ったヨーロッパ企画のマネジメントをすることになったので、直接的にはとても大きい影響を受けたと思います。でも、そもそもなぜ彼らとそこまで仲良くなったのかというと、OMSにもあった『ジャンルにとらわれない』という空気を彼らも持っていて、そこに惹かれたんじゃないかなと思うんですね。
だからこの旧藝大寮みたいな場所にくると、すごくテンションが上がるんです。アートの話をしている人がいれば、お芝居の話をしている人もいて。
僕は、新しいものは色々な人々が雑多に集まる場所から生まれると感じています。だから殿塚さんが色々な人を混ぜようとする動きにとても共感しますし、これからを楽しみにしていますね。」

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これにてトークイベントは終了。
吉田さんと殿塚のトークにとどまらず、地域の方やアートや演劇に興味がある方、地元の企業の方など幅広い参加者からの声を直接聞くことができた貴重な機会となりました。

吉田さんが話していた「色々な人たちが混ざり集う場所から生まれる、新しい可能性」。アーティストやクリエイター、ご近所に住む親子連れからご高齢の方まで、様々な人が集まり始めた旧藝大寮には、その可能性が芽生え始めているのではないでしょうか。

また企業や行政など、幅広い組織が連携していくことで、それをより大きなものに育てていくことができるのかもしれません。
そのためには、企業が事業の新たな価値評価基準を示すこと、複数のスポンサー企業や利用者で活動を多面的に支える仕組みをつくるといったアプローチが必要だということを、このトークを通じて考えることができました。
そういったアイデアをこの場所で実践していくことができたら、また新しい景色を見ることができそうです。

*1 メセナ賞 企業によるメセナの充実と社会からの関心を高めることを目的に公益社団法人企業メセナ協議会が創設。これまでに全国各地の企業メセナ200件以上が選ばれている。(現在はメセナアワードに改称) https://www.bunka.go.jp/seisaku/geijutsubunka/mecenat/award/

*2 大阪府舞台芸術奨励賞 大阪府と大阪市が主催し、大阪における文化芸術の振興に著しい功績のあった方もしくは団体が選出。現在は「大阪文化賞」として他の大阪の様々な文化芸術の賞と一本化されている。 https://www.pref.osaka.lg.jp/bunka/news/osaka_bunka.html

*3 京都芸術センター 元小学校の建物を利活用し、京都の多様な芸術活動や情報発信拠点として設立された施設。舞台公演やワークショップのほか、制作や練習の場である「制作室」の提供、アーティスト・イン・レジデンス・プログラムなども行っている。 https://www.kac.or.jp/

【今回のイベント概要】
トークイベント『地域とアートをつなぐ企業のあり方
-大阪ガス扇町ミュージアムスクエアからひも解く、遊休不動産と芸術-』 

日時 :2022年9月25日(日) 18:00~19:30
参加費:無料
定員 :20名程度
詳細 :旧 藝大寮活用プロジェクト イベントページ

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4回にわたって、旧藝大寮プロジェクトのテスト企画の様子をお届けしてきたイベントレポート。

様々な種類の企画を通じて、
『”アート”を軸にした活動が、教育や地域の商業など多様な切り口を持つ人々と繋がるきっかけとなること』、
『住宅街に位置する旧藝大寮には、近隣に暮らす親子などより幅広い人々が集まる場としての可能性があること』がわかってきました。
特に元々アートの文脈を持つこの場所では、地域の人たちからのアートに関する活動への期待も存在しているようです。

「アート」と「交流」が場の軸となって多彩な人々、そして視点が混ざり合い、新しい価値が生まれて広がっていく。
そんなこの場所の未来の姿が、少しずつ表れてきたように思います。

今後も藝大寮の展開に注目いただけると嬉しいです。

文章・写真:原田恵

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