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最悪を恐れるのは臆病者。最悪を想定しないのは愚か者。

 僕は、27歳で脱サラするまで「最悪」というものを意識したことがなかった。

 結果、「最悪」に直面して「ヤバい。人生、詰んだ」と絶望したが、なんとか「若さ」で乗り切ったときに痛切に思った。

 最悪を恐れるのは臆病者だが、最悪を想定しないのは愚か者だ、と。

 最悪を恐れてビクビクし、石橋を叩いて渡るどころか、石橋を叩きすぎて壊してしまい、向こう岸に渡れない。人生で前進できない。こんな臆病な人間にだけはなりたくないと常々思っていたが、最悪を想定せずに生きてきた自分の愚かさを呪った。

 それ以降、「会社」という庇護してくれる存在と自ら決別していた僕は、最悪を想定して保険をかけるという生き方をしてきた。

 2007年に『エブリ リトル シング』という小説が20万部のベストセラーとなったときに、僕には「小説一本」という生き方もあった。

 しかし、その道は選ばなかった。

「3年後には誰も小説を読まなくなっているという最悪が待っているかもしれない」

 そう考えて、IT書籍の道も残す生き方を選んだ。

 新型コロナウイルスの影響で、今、僕たちは未曾有の危機の真っただ中にいる。

 どう考えても最悪の状況に思えるが、僕は今よりも悪い状況を想定している。

 すなわち、今が最悪だとは思っていない。

 そもそもが、昨年の消費増税は本当に痛かった。企業の設備投資が14%落ち込み、この30年、まったく成長していない経済にさらに陰りが見えたタイミングで新型コロナウイルスに襲われた。

 いや、そもそも、東京オリンピックが決まった時点で僕は相当な危機感を抱いていた。

 1965年、最初の東京オリンピックの翌年に日本は「オリンピック不況」に見舞われたこと、また、なぜ不況になったのかを大学で学んでいたからだ。

 もう4年前から、2021年から日本はまずいことになるぞと思っていたので、正直に言うと、新型コロナウイルスは僕の予想を1年早めたに過ぎない。

 もちろん、コロナも脅威である。否、生命を脅かす存在である。

 にもかかわらず、緊急事態宣言が解除された途端にテレワークをやめてしまった会社。

 子どもが卒業式も入学式も修学旅行も我慢しているのに「3カ月遅れの歓迎会を開く」、「自粛解除」と「コロナ終息」の区別もつかないバカな会社(大人)も後を絶たない。

 余談になるが、そのような会社に勤務している方は、ぜひとも現在連載中の【コロナで脱資本主義・サラリーマンだから貧乏ですが、なにか?】をお読みいただけると幸いである。

 きっと、人生観が根底から変わる方も多数いらっしゃると思う。

 少なくとも経済学部の学生だった僕は、このことを学んでサラリーマンという選択肢は排除した(厳密には、親の顔を立てるために4年間、サラリーマンとして勤めたが)。

 テレワークで最初のうちはある程度生産性が落ちるのはやむを得ない。そこで、生産性を向上する努力をするのではなく、「テレワークをやめる」という安易な発想になぜなるのか?

 それは、この資本主義社会において、そんなことをしていたら他社との競争に負けてしまうからである。

 すなわち、資本家の目先の利益しか考えないのが資本主義という世界である。

 そして、長期的に貧富の差が拡大していく。

 僕が考える今後の「最悪」は、概ね以下のようなものである(核兵器戦争を除く)。

●新型コロナウイルスの第二波、第三波
●新型コロナウイルスの亜種(他のウィルスとの混合など)の流行や強毒化
●中小企業の連鎖倒産
●失業率の増加
●株価暴落による大手企業の経営悪化
●サービス業、エンターテインメント業界の壊滅的な打撃
●東京の不動産バブルの崩壊(東京オリンピックをやってもやらなくても起こる。オリンピックが中止の場合は、第二次世界大戦以降、最悪の経済危機に見舞われる可能性あり)

 まだまだ挙げたらキリがないが、幸いなことに僕は今年の前半、6カ月で本を4冊執筆させていただいた。

 そして、後半の6カ月でも4冊の本を執筆させていただく。

 なぜ、こんなにまで仕事をするのか。

 それは、3年後に出版業界がどうなっているかわからないからである。

 僕は今のところ経験はないが、2000年代半ばから出版不況が始まり、印税を下げられたライターは多数いる。

 僕は、「明日は我が身」だと思っている。

 それならば、印税を下げられる前に書けるだけ書くのは当たり前だと思う。

 それに、名称はわからないが「コロナ税」として今後増税されるのは確実なので、それならば、その前により多くの収入を得ておいたほうが良いのは自明である。

 そして、前述のとおり、「3年後の出版業界」がわからないので、早ければ今月、遅くとも9月には新規事業を立ち上げる準備に入っている。

 もちろん、僕が想定する「最悪」が来ないのがベストである。

 ただ、粘着力の弱い失敗作の接着剤のおかげでポストイットが生まれたように、「行動」していれば、そのうちのどれかが実を結ぶかもしれない。

 ちなみに、この「行動」の大切さを説いたのが『しおんは、ボクにおせっかい』という作品である。

「ピンチはチャンス」という言葉があるが、一人でも多くの方にこのピンチをチャンスに変えていただきたい。

 僕たちは、楽しむために、幸せになるために生まれてきたのだから。

 そして、幸せになるのは実はそう難しいことではない。

 最悪を恐れることなく、最悪を想定して、とりあえず「行動」してみれば、少なくとも人生で「最悪」に絶望することはない。

 よく、苦しい時期に「必ず春が来る」と言う。これは事実だと思うが、「必ず春が来る」のであれば、「必ず冬が来る」のも人生である。

 ならば、最初から冬に備えておけば、ダメージは小さくて済む。動物ですら冬に備えるのだから、人間にできないはずがない。

 僕は一流にはなれない。

 しかし、一流を支える、もしくは、今後一流になるであろう人を導く二流にはなれると思っている。

 僕は、一流の二流になりたい。

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