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#7 ラッセル 幸福論 #読書感想文

バートランド・ラッセル (1872年5月18日 - 1970年2月2日)は、イギリスの哲学者、論理学者、数学者であり、社会批評家、政治活動家である。


・幸福な人とは客観的な生き方をし、自由な愛情と広い興味を持っている人である。
こういう興味と愛情を通して、そして今度はそれゆえに自分が他の多くの人びとの興味と愛情を通じて、そして今度は、それゆえに自分がほかの多くの人々の興味と愛情の対象にされるという事実を通じて、幸福をつかみとる人である。

客観的な生き方とは?主観的では無いという事は 自分ひとりによる個人的な見解に基づき判断をしていはいけないという事。他人と交わって他人を知るということ、自分なりに体験する。そしてその目線や考えを含め自分の思想や行動を構築するということ。同じ事象でも見る角度や方向が沢山あることによって、コップ半分の水が少なかったり多かったり感じたりする。心というものは不思議なものだ。同じものが違った色に見える。カラスを白いと言ってしまう時もあるかもしれない。そして判断をしなくてはならない時はできだけ自分もたくさんの視座を持ち、今できる精一杯の決断をしたい。そしてそれに後悔しない。

・愛情の受け手になるという事は、幸福の強い原因である。愛情を要求する人は、愛情が与えられる人ではない。
愛情を受ける人は、大まかに言えば、愛情を与える人でもある。
しかし、利子をつけて金を貸すような具合に、愛情を打算として与えようとするのは無益だ。なぜなら、打算された愛情は本物ではないし、受け手からも本物とは感じられないからである。

自分の幸せとはと考える。他人の為にと良い事を言っていても、やっぱり自分の得になることを考えてしまう。ただその行為は不思議と自分の心の自由が奪われる。今ある既得権益を続けようと思うと心が窮屈になる。物は満たされるが心が欠けている。一方で自分の大切な人や関わりを持っている人もしくは赤の他人かもしれない人の為に行動することはどうだろう?勿論見返りは期待しない。ただただ思いやりで行う行為。今までの自分の人生でその思いで行動しても罵倒されることもあった。相手の言い分としては物心共に足りないという意見だった。自分が良かれとも思ってはいなかったが、まさか罵られるとは思ってもみなかった。でも何だろう。他人の事を考え心配したり、何か協力したいと思うという行為や気持ち。どちらかと言うと私は他人の事が気になってしまうタイプだ。相手の為に行動した時、時には相手に反抗的な態度をされるが大体は感謝される。でも別に感謝されなくても良い、でも実際感謝されたらそれはそれでうれしいが。怒鳴られたことに腹を立てたわけじゃない、ただびっくりしただけだ。私が自分に対して幸せを感じるという事は、その様な気持ちにさせてくれる人が自分の周りにいるといることだ。この人を笑顔にしたい助けたいと思う気持ちにさせてくれたことに対して感謝する。そしてそれは行動にに移した後もその幸せな感情は自分の心の中で息づいている。遠回りしてしまったが、なんとなく自分としての幸せは物では無く心の幸せから得られる。そしてそれを得る方法は他人の幸せを願う自分の行為だ。

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