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嫌われる、嫌う。

って何だろう~?とネットで、ググってたらこんな記事が出てきた。
  ↓

「嫌」は女が安定の意味で
兼はかねるの意味を持った組み合わせの漢字。

そんな安定が兼(2つにまたがっている)の状態になるため
心が安らかではない、切れるということから
きらい・うたがうということになった

【「嫌い」はなんで女がはいっているの??】|ku (note.com)

(※↑参照、note記事)

女性のイメージが、まぁ、女性性ということで安心、安全、母なる大地みたいな感じでしょうかー。

その「女」に、「兼」文字が入ってますけど、

その兼の意味は・・・

【二つ以上のものを一つに合わせる】という。

なるほどぉー。

昨今では、女性性の時代と言われてますが、

それが真の女性性そのものになるために、2つという分離したものが1つになる時代に差し掛かっている、と感じた。

それは、

「心そのもの」と「自我(エゴ)そのもの」と別れている、この2つ。

その「心」と「自我」が1つになるために、嫌う、嫌われる、という人間が1つになる(悟り、真理そのものになる)

機能が備わっているだけ。

ほー。

人類800万年の歴史で争い、摩擦、衝突、戦争が絶え間なく続くのは、
1つになるためだったんだー。

その1つになるための間、通過する儀式みたいなものが、嫌う、嫌われる、という自己否定のスイッチだったとは。。。。。

なので、今後は、嫌われた、嫌った、という嫌な人間関係に出くわした時には、

現象面を変えようとするんじゃなくて、自分の中にある「嫌」われた、「嫌」ったと言うスイッチが入った、と自覚をし、

本当の心そのもの(真理そのもの)と、今の自我(エゴ)が分離しているから、
不安定なんだね、と新しい解釈をしよー。

そして、分離しているところから、1つになり、その分離「をも」(錯覚として)整理した時に、

心と自我(エゴ)が分かれているんだけど、実は別れてない、1つなんだ、という
悟りの境地に達する。

宗教を10年以上やり続け、宗教の限界を感じ、インドに悟りを開きに言ったけど、いわゆるインドの受け身の悟りにも限界を感じ、

今は、「動的」つまりは、コミュニケーションしながら、歩きながら、生きながら、悟りを今ここ、イメージできる

nTech(認識技術)を活用し、真理1つから、分離を楽しめる、クリエイトできる人を増やして、それを世界経済の超活性化をしようと、

もくろんでいるので、興味ある方は、ご連絡をばー。

以上、話しがちょっと脱線したけど、「嫌」について、真理に導くスイッチだよね、やっぱり!という内容を今日は、

つらつらと、したためてみた。



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