技術と思いのバランス

プロとか職人って
プロフェッショナル。辞書を引くと、専門家とある。職人となると身につけた技術によって何かをする人とある。
そういう定義だと、自分は職人だし、専門家として覚悟を持って真剣に仕事に当たってきたと思う。
技術力が高いっていうことが仕事ができる、プロ、専門家なのかということを少し考える機会があった。

ことの起こり
数年ぶりに海外から戻り、日本的な趣味を始めたのですが、同じ趣味を持つ知人もいないので情報はもっぱらオンラインで集めています。ですが、どうしても習いに行かないといけない、直してもらわないといけない、となるとオンラインではなく実際のやり取りが必要になります。どこが良いのか、疑心暗鬼に満ちている私のような素人は、もちろんネットで注意深くいろいろな方のお話を拝聴するわけです。SNSでお着物の収納の仕方や良い買い方、いいお店、悪いお店。お手入れの大切さ。本当にたくさん教えてもらっている。一番困ったのがお手入れ。これだけは本当にわからないことが多い。だから、単純かもしれないけれど、たくさんの人が誉めてらっしゃって、自分の技を世界で数人とおっしゃってるのだから間違い無いのではないか、そういう人に長くお願いできるような関係が作れたら、と思いながら拝見した。いつかお願いしたい、そう思うようになった。

母の形見
一人住まいしていた父が年始に他界し、その家を処分するというので母があつらえた留袖と帯だけ譲ってもらうことができた。私は海外生活も長く、いろいろな家庭の事情もあって疎遠だったこともあり、諦めていた母の形見が手元に届いて、それはもう嬉しかった。私の持っている母の写真は彼女がその留袖を着ている写真だ。母はこの留袖を着て、当時やっていた会社の従業員をはじめ何人ものご夫婦の仲人を父と行った。そういう縁起もある着物。彼女がこれを着ている時はいつも晴れやかだった。丁寧にえがかれた鶴が印象的。続きはしなかったけれど、私の結婚式にもこの着物で出てくれた。それが私の手元にある唯一の写真。
これこそはきちんとしたお店で手入れをしてもらって、大事に置いておかなければ、と思った。

お見積もり
ネットでやりとりもさせていただいていた、自他ともにプロ中のプロの方のところにお願いしに行った。
帯はすぐに見積もりが出て、留袖の比翼はがポリエステルなので重くて暑いから見えるところだけに加工したら、と。何度もなんどもこれは唯一の母の形見なのですとお伝えしたつもりだったけれど、そうですか、ぐらいだった。お見積もりはまた後日、納期はいつになるかわかりませんよ、と言われた。いつになるかわかりませんよ、の言葉が本当にその通りだったということはこの時はわからない。

専門家としての仕事
私もプロとして数十年、少なからず責任ある仕事をしてきた。私のパートナーも世界で仕事をしてきた素晴らしい技術を持っているプロフェッショナル。私たちがプロとして、専門家として大事にしていることは全く違う業界なのに驚くほど似通っている。
1)お客様をお待たせしないこと(事情があって遅れる時は事前に説明をする、遅れる可能性がある場合は事前に説明する)
2)丁寧に納得した説明をすること、納得してもらえなければお断りする
3)仕事はきっちりは当然、言ったことは必ずやる、
4)仕事もやりとりも丁寧に
5)段取り至上主義
6)クライアントの話をよく聞く。思いを理解する。

みたいなところが共通している部分。他にもいろいろあるけれど今回のテーマに関わるのはこの辺りだろうか。
パートナーも私も何十年もやってきて、クレームらしきクレームをいただかないで喜んでもらえているのはこういうところじゃないかと思う。特に段取りと人の話をよく聞く、説明するというところはマストでもある。

門外漢のお客様に納得して喜んでいただくためには、自分の思いと相手の思いをすり合わせる必要がある。自分が素晴らしいと思っていても相手に必要ない場合もある。どのランクにも合わせるのがプロである。
1点ずつ、詳細を詰めて納得と同意を貰っても後からひっくり返されることもあるけれど、経験的に日本では海外よりもそのような目に合うことは少ない。

だからこそ丁寧に話を聞き、どうして自分のところを選んでくれたのか、何を求めているのか、何が大事なのかをよく聞くし、伝えておきたいと思う。プロを自認するのはそう難しいことではない。
私が何十年も買っている香辛料のお店のご主人は、大きな百貨店で定期的に香辛料を売っている。いろんなところでOEMで彼の香辛料が使われている。そこの今のご主人は香辛料少し口にしただけで、産地など全て当ててしまう。そういうことはさらりというだけで、腰低く丁寧にお客さんの思いを聞いて香辛料を淡々と調合している。日本一繊細な香辛料だ。何代目か存じ上げないのは、そういうの前に出さない。でも本当のプロ。自信はあるけれど謙虚。実績が全てを物語っている。

確認
待てど暮らせど見積もりは来ない。SNSでどんなふうに気に入らない人とやりとりしているかは十分確認していたので、菓子折持ってとか、知り合いのお着物預けついでに聞くことを1ヶ月以上開けて数回。
懇意にされている方に相談すると、どこかに仕舞い込んだり忘れていることもあるから聞いてみればと言われる。
お戻しくださいとお願いするも、もう職人さんのところにあるので戻せないと言われる。
まだですか、なんて聞くのも聴かれるのも嫌なのは承知。だからそういうことがない様にするわけじゃないですか。形見じゃなかったらよかったのにとずっと思うし、もう気が重くてやりきれない。
そんなこんなでとうとう期日をお伺いすると、いつだったらいいんですかと言う問い。
胸がキュッとする。ゴールデンウィークの頃にとお願いする。
比翼の話は当然のことながら出なかった。お見積もりも出ないのに、覚えているわけもないのだ。後から確認が来たけれど当然だけれどお断りさせていただいた。本当にいつになるかわからないもの。

ごめんなさい
そんなやりとりをした後に目にした書き込み。
見積していないで預かっているのが百以上あるとのこと。全部見積もりするにはご本人が二人いないと、という。
読んだ途端に吐きました。
私より先にお預けになって、まだお待ちになっている方がいるであろうと言うことを想定せずにいた自分が恥ずかしくなりました。先にお預けになっている方に申し訳なくて涙が止まりませんでした。
着物をきれいにして欲しいだけでどうしてこんな罪悪感をもたないといけないのだろう。

最後に
もっと丁寧に書くつもりでしたが、気力が続かずこれで終わりにします。ゴールデンウィーク過ぎても連絡がないので、もう着物は諦めておりましたが、その月の終わる頃にご連絡が来ました。母の着物を今もまだ届いたまま。封を開けることができていません。

着物は所詮は着るものなのですが、このたびは本当に良い勉強になりました。形あるものに思い入れを過度にしない様にしているところ、本当に油断した自分をまだ許せていません。
私が先を越してしまった人には申し訳ない気持ちが消えることはないと思います。今度大事なものをどなたかに預ける時には、その場で納期が伺える、少なくとも見積の時期は伺える、作業を待っている他の方がたくさんないところでお願いしようと思います。

職人、プロというのはモノ(対象)との対話だけではなく、モノにまつわるすべての人のこころを慮ることです。その作業を通じて人の心を癒すから。

私の思う、心が通じ合う職人さん探しはこれからがスタートです。



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