魅力的なアウトサイダー


拝啓ポムポムプリンくん。画像をお借りしました(ぺこり)


プリンくんの周りにいる仲間たちがすき。カエルとかひよことかカモメとか。立ち位置がよくわかんない。けど必ずいてかわいい。なんかよくわかんない感じがいい。あんま目立たないけどそれぞれ自分の特徴を持っていて自分の世界を思い思いに過ごしている可愛くて思慮深い子たち。ときどきお尻も見せてくれる(大サービス)

そういう立ち位置でいたい。お尻うんぬんじゃなくてなんかよくわかんない感じがいい。クラスの人気者でもクラスのお調子者でもなくクラスの端っこの方であれ、あの子また髪色変わってない?また服の系統変わってない?みたいな、あの子見るたびやってること違くない?みたいな命がいい。要するになんかよくわかんないがいい。

なんかよくわかんないんだけど喧騒から離れて自分の宝物を大事にする暮らし、世界の片隅で気の合う人たちと好きに勝手に生きてるがいい。鈍感になりたいわけでも図太くなりたいわけでもなくて自分なりの価値観を見出していたいし人に押し付けたくない。

自分の世界に集中できるのは才能だと思う。共感できないものを否定しないでいられるのも才能だと思う。誰かをわるいと言うのではなく自分を良いと言えばいいだけの話って溢れてる。それはどうなんだろうって思うことはそう思う人が辞めればいいだけの話もきっと溢れている。

年齢やら肩書きやらをほんとに気にしていない人はその話題が出ただけで過剰に反応しないよね。反応しちゃうのはどこかでやっぱ気にしてる。にんげんだもの。シミもシワも増えて当然。年輪だもの。ぽっこり出てきた下っ腹はなぜかかわいいと思っちゃう。ポムポムプリンくん。

誰かに生き方を肯定して貰えるとうれしいけどわたしはわたしを知ってるから誰かが褒めてくれるほどちゃんとは生きてきていないことも知っている。だけどわたしはわたしとずっと一緒にいたから耐えることしか自分を守る術がなかったことも知っている。成功例ではないけれど魅力的なアウトサイダーになれたらいいなと思う。

誰かがじぶんに白いワンピースの方が似合うと言ってもわたしは黒が着たいからと黒の方を選んだ日には魂に栄養が行き渡る気がする。可愛いカフェで撮った写真の方が評判がいいけどわたしは路地裏がすきだから路地裏で写真を撮ってもらうとこれまた魂に栄養が行き渡る気がする。

にんげんは魂の生きものだと思ってるけど魂とはなんですかと聞かれても定義付けできないけど人の後悔や罪の意識に「良心の灯り」を感じるから後悔していることを抱えたまま生きていこうとしてる人に出逢うと魂を感じるしあったかいなぁと思う。美しいものと聞いて思い出すもの。

怒りってだいたい第二感情で根本にあるのはただただ悲しい。さんざんグチのごみ箱にされた挙句いざ自分が口を開いたら相手のすきな自分の時だけ話を聴いて貰える条件付きの世界へくたばれだよね。

お金を払って話を聴いて貰っていた切なさもやりきれなさもわたしの心の奥でずっとどうしてどうしてと嘆いているし今だに答えはわからないけど哀しくてやり場のない孤独は誰かと心が繋がるためのツールだからなくさなくていいのだと思う。

孤独を口にして何かが劇的に変化することなんてないけど出さないと肥大化するからそれを防いでる感じ。孤独はわたしのふるさとで大事なことを思い出させてくれるのもいつもそこだけど調子がよくない日は孤独を愉しもうとするたびに闇の向こう側へ行く。。そうなったらもう日々を愉しもうとなんてしなくていい。ただ楽に過ごして。

こどもの頃のわたしの目におとなたちは本当に欲しいものがあることを忘れるために忙しくしているように見えたけど今なら分かる。目に見えるものや分かりやすいものの方が埋まんない穴をうまく塞いでくれる。だけど日陰に咲く花の魅力がちゃんとわかる自分でいたい。

欲が入ってくると本音が見えづらくなっちゃうけど心を許した数人にだけ見せる素の顔がある人はとてもかわいいと思う。敬意を持って弱音を話し合える関係を築けたら。定期的に理由もなく泣けてくること、定期的に落ちることが生物としてのリズムになっているから、暗いんだけど優しいごーいんぐまいうぇいな気持ちでいられたらいい。



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