僕の人生に影を落とす謎の拳法、「よっちゃん拳」についてそろそろ話そう

お調子者のM先輩は小学一年生から僕の先輩だ。

一度先輩となってしまうと時空の摂理によってずっと先輩だ。その頃から30年弱僕の先輩に鎮座しているのだから、人生の大半を僕の先輩として過ごしている、筋金入りの先輩といえる。僕の先輩以外の彼のアイデンティティを僕は知らない。

彼とは最近会ってないし、会ったとしても、あまり共通項がないから正直困る。けして嫌いな先輩じゃないし、どちらかと言えば好きだし、お世話にもなった。小学一年生のか弱い僕の本体が黄色いランドセルに背負われているころからの先輩だ。お世話になっていないわけがない。結構可愛がってくれたはずだ。正味ありがたい。

でも彼の持ち味であるお調子者に対する僕の日陰者という構図は、けっして跨ぐことのできない国境線を今も二人の間に作っている。少なくとも僕はそう思っている。それはブラジルとフィンランドくらいの国境線であって、もう絶対に何があっても跨げないはずなのだ。物理的に。

いや、あるいは僕の一方的な思い込みだけなのかもしれない。いつだってお調子者側はその国境線の存在を知らない。てゆーか、えっ、それどうやって跨いでくるの? 正気? って感じである。彼らは気分によって軽々と国境線を越えて僕の検閲システムに甚大な被害を与えるのだけれど、そんなことを彼らは気にすることもないんだろう。

M先輩は小学生のころ、マルコメ坊主だった。その辺からして勇気の多寡が僕と違う。人に注目されることを恐れないのだ。「マルコメ〜」って言われてからかわれることを食んで日々の糧にしている。日陰に生える陰鬱なコケを食べて生きている僕とは、そもそも内燃機関の質が違う。

ある日彼が僕に近づいてきた。砂漠に住むトカゲのような乾いた足取りで僕に速やかに近づいた。そして一瞬、何かしらの構えを見せて、目線が僕を射抜いた。それはトカゲではなかった。ヘビだった。

分かっていただけるだろうか。お調子者側に対する日陰者が相対したときのこの「竦み」、さしずめカエルなのである。日陰者は全てのタイミングにおいて、人に先手を譲ることになる。だから「ヘビだ」と気づいたときには遅かった。すかさず彼は言った。

「よっちゃんけ〜ん!!!!」

瞬間僕のおでこに走る激痛。彼の人差し指と中指が正確に僕のでこを突いたのである。「痛い!」ワケが分からんけど、ワケが分からんままワケが分からんことをされて、ワケが分からん。

見ると彼は自らの指を見ながらドヤ顔をしていた。

残心である。

「な……ん……?」

それが僕にとって、よっちゃん拳との邂逅であった。

よくよく聞くとよっちゃん拳とは「よっちゃん」を開祖とする必殺の拳で、M先輩はその拳法の分家を引き継いだ、というようなことを興奮して言った。この世に必殺の拳を生み出し、あまつさえ小学生を伝承者として選ぶとはまこと恐るべし、よっちゃん。

誰だ、お前。

そこから先、M先輩はもはや「無敵砲台」を手に入れたスネ夫であった。ところ構わず、笑いが取れる、あるいは空気を変えたい瞬間によっちゃん拳を放つ。僕は幾度もなく彼の必殺の御業、よっちゃん拳を頭蓋にくらった。

彼の名誉のためにここに付記しておくと、彼はいじめっ子体質ではない。むしろ正義の人である。ぶっちゃけメチャクチャ今もいい人だ。ただお調子者なのだ。だからこそなのだろう。本来「必殺」であるはずのよっちゃん拳は、彼の優しさ故に僕の頭蓋を割ることは一度もなかった。幸いである。彼はよっちゃんの正統後継者でありながら、不殺の誓いを頑なに守る義理の人であったのでござるよ。

一方僕は。

何度もよっちゃん拳をこの身に浴びながら、僕はどこかで、彼に憧れていた。彼の流線型の姿から放たれる無敵の打突、空気を一蹴する鋼の精神性、ドヤ顔の残心。その一連の行動全てが僕にないものだった。僕は焦がれるように憧れた。その技と、それを繰り出せるM先輩に。

だから僕は――。

編み出したのである。

否、我が身を守るために編み出すしかなかったのである。

まーくん拳を――。

この狂気の時代、強さは強さを掘り起こす。必殺の技にさらされた僕の日常は、しかして、僕の深奥に眠りし獣の力を呼び起こす下地となった。まーくん拳、それは僕の不毛な日々から生み出された、指に宿る不毛である。

おでこを狙うよっちゃん拳の最大の弱点、それは下から上を狙うというモーションの大きさにある。その破壊力を生み出すストローク、それ自体がよっちゃん拳の弱点。おそらく世界で僕だけがそのことに気がついた。よっちゃん拳の攻略法は、それを数限りなく食らったものにしか見えぬ地平なのである。

それに比べて我が考案した「まーくん拳」は、ほぼ同じ構えながら、人体の急所の一つ、みぞおちの少し上を狙う。手は最短の水平運動。避けられにくく、そして人に見られにくい。よっちゃん拳が破壊に偏った派手な必殺技に対して、まーくん拳は静の暗殺拳なのだ。

感謝する、よっちゃん。

お前が僕を強くしてくれたんだ。

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M先輩が来た。

我がまーくん拳の礎となりて、よっちゃん拳、そしてM先輩よ、ここに眠るがいい! ここが一つの伝説の終着点、それから新たな伝説の聖地となろう。くらえい、我が拳、まーくん拳!

僕を包むそのときの世界はまるで遅かった。

そう。スロー。

僕は待っていたのだ。彼を。彼のよっちゃん拳を。分かっているのだ。もう読める。彼はのんきな顔をして、いつもどおり挨拶がてらよっちゃん拳をお見舞いする気だ。

必殺技を挨拶がてら。死屍累々である。横暴よ、ここまでだ。暴君よ、倒されるがよい。その瞬間、僕はそれよりも速くまーくん拳を叩き込んでやる。スピードなら負けない。そして彼は思い知るだろう。

日陰に生える雑草の強さを。

思い知れ。

これが僕の――!

まーくん――

だが予想に反して彼は楽しげに喋りかけてきたのだ。

「ちょっと右手出してみ」

おや? なぜよっちゃん拳を放たない? 終わったのか? まさか彼のよっちゃん拳のブームは終わったのか? あっけない。あれほど僕を追い詰めたよっちゃん拳がまさか一時的なブームで終わるとは。僕は理解できないが、ここでも僕は素直である。中途半端にまーくん拳の構えをしていた僕は、右手をおずおずと彼に差し出した。

そして彼は彼の不思議な形に握った拳を僕の二の腕に置くと。

言った――。

「スズメバチ」

それが彼の新必殺技、スズメバチとの邂逅である。

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今になって、まだあのときのよっちゃん拳のことをよく思い出す。よっちゃんに言いたいことはいくつかある。まずはその勇気を讃えたい。

なぜなら僕は幻の最強拳技、「まーくん拳」を考えた時に逡巡した。やはり自分の名前を、自分の考案した技として名付けるには途方もない勇気がいる。さらにそれをM先輩に伝承させた求心力。よっちゃん、あの頃から20年、まだ僕の記憶を縛るお前はやっぱりすげぇよ。

M先輩をそこまで心酔させていた技を編み出した男だ、今ごろ覇の道を歩いていることだろう。そうだ。よっちゃん、あの頃からずっと謎だった。最後に教えてくれ。

本当、誰だ、お前。

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正訓は「まさくに」と読みます。東京でエンジニアしています。 Twitter -> https://twitter.com/masakuni_ito