2024/08/21

我が職場は和気あいあいとアットホームな職場であって、「和気あいあいとアットホームな職場です!」と大々的に喧伝しているのであればその職場は必ず詐欺師の集団で確実にギスギスしているのだがうちはこの職場環境についてはどこにも宣伝していないので純粋な和気あいあいと言えるだろう。男女年齢の区別なく誰とでも喋れる環境であることは確かである。その雰囲気に助けられて自分も年の近い先輩・後輩には素に近い自分で話すことはできるので逼迫した職場環境の不安には襲われたことはない。

しかし先ほど、隣の席の一年後輩が同期と雑談をしていて内容は主にクライアントの悪口だった。「あの人ほんとに人格を疑うくらい性格悪い」「分かる。でも顔良いよね」「顔良いから許してるよ」「不細工だったら?」「殺してる」「わはは」。

恐ろしい、と思う。部内で部内の人間の悪口を言う人はほとんどいないが、こうやって時々客だったり別部署の人間の悪口を言う人間はいる。悪口を言わない人間なんていないが、普段の人の良い彼らを見ているからこそ時折見せる差別的な部分に嫌な想像が働いてしまい漠然とした不安を覚えることがある。仲間内で和気あいあいとしていることと他者に差別的であることは両立し得るのだから人間の複雑さ、多面性を真正面から捉えることにいつも逃げたくなってしまうのだ。

もし「不細工だったら?」の中に俺が含まれていたら?俺だけが呼ばれていない飲み会があったとしたら?後輩に変な先輩として特徴をとらえた過剰なモノマネをされそれがウケていたら?
自分はどこまでいっても普通ではない、という自意識が常にある。それは自分がゲイだからであり男のちんぽを喜んで舐めるからでありいつまでも結婚する気などさらさらないからである。

いつか自分を慕ってくれている後輩に尊敬できる先輩に「他者」と見られ排斥されるのではないか、殺されるのではないのかと思うことがある。社会的な動物である人間は邪魔者を排斥することを本能で行うから、それはしょうがないと思う。犯罪をしたら裁かれねばならないし、立ち塞がるものは退けなければいけないのは当然でみんな無意識のうちにそれを行いそうならないように自分の中の意思と社会規範を擦り合わせ続ける。それをサボるわけにはいかない。しかし根本的に他者に真の自分ではない側面を見せ続けている自分がいつかみんなの普通に合わせられなくなるのではないかと怖がるのはどうしたって避けられない話だろう。

仕事なんて適当にやって職場の関係性もほどほどにして煩わしいコミュニケーションはしなければいいと思うが、結局のところどこにいたって嫌われたくないという意思が先行しているだけの臆病者である自分は“どうでもいい人には嫌われたっていい”なんてマッチョな思考には徹せられないのが今回の問題である。

恐怖、煩わしさを克服するためには無頓着でいることであって、言ってしまえばこの世のほとんどの事は自分に関係ないのだ。結婚、子ども、地元、社会への責任、そういった実態のない漠然とした恐怖に襲われそうになったらちんぽを触るとよろしい。

「今狭いところから出してやるからな」そうやって恭しくパンツからちんぽを出してやり、ゆっくりと上下にシコってやる。スロースロークイッククイックスロー、このリズムでちんぽを掴む腕を上下してやるといつの間にか川のせせらぎが脳を支配する。美しい緑が支配する空間の中で俺は川の水をすくい一口飲む。体が少し痺れるほど冷たい水。足元にはシロツメクサが咲いていてまるで白い絨毯になっている。かわいそうだけどそれを少しちぎり花冠を作って好きな人を想っていたらいつのまにか射精して精子が頭の上まで飛んでいてそれはまるであのシロツメクサのようで...。
少しして俺は緑に支配された白い世界も現実の暗い不安も頭を少し振ったら忘れていて気づいたら精子は乾いていた。

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