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ライブへ行けない今、28年前に見たニルヴァーナのライブのことを思い出して書いてみる

こんにちは、omni-berryと申します。名古屋でアミグルミを作る人などをしております。

ライブへ行くのが大好きなのですが、ご存知の通り自粛が続き、
この春 行こうと思ってたライブも全て延期か中止になってしまいました。

またいつか思いっきりライブを楽しめる日が来ますようにとの願いを込めて、
28年前の1992年、日本で最初で最後となってしまったニルヴァーナのライブへ行った日のことを、思い出せる範囲で書こうと思います。
(何せ記憶力がポンコツなので怪しい部分も多々ありますが)


時は1992年、バブルがまさに弾けようとしていた頃。

前年にクロスビートでニルヴァーナの新譜「ネバーマインド」が高評価で紹介されているのを見て、タワーレコードで当時まだ細長い箱に入っていた輸入盤を購入した私は、
来日の情報を受け、すぐに名古屋クラブクアトロのチケットを手に入れました。

洋楽を聴き始めてまだ2年ほどしか経っておらず、
前年の1991年に初めて行った洋楽のライブはフィッシュボーン。

その後、ダイナソーJr.、ニルヴァーナ、と3つ目の洋楽ライブでした。


そして待ちに待った1992年2月16日(日)。

実はこの日、大切な用事とライブが被ってしまっていたのです。

通っていた短大の卒業制作展の期間中で(当時 短大の美術コースへ通っていました)、しかもこの日は最終日。タイミングの悪いことに搬出日でもありました。
(日程的にはライブの方が先に決まっていました。)

ちょっとした引越しぐらいの荷物の大きさだったので、なんとかギリギリ撤収作業までは自分でできたとしても、運搬→受け取りまでを考えると夜までかかってしまいます。

申し訳ないと思いつつ、運搬業者さんとのやり取りやその後のことを、卒業式までの数日間 うちに泊まりに来ていた友人にお願いすることにしました。


当日の夕方、卒業制作展の会場を後にし、急いで名古屋クラブクアトロの階段で開場を待つ列に並びました。

名古屋クラブクアトロのキャパは500人。
狭すぎず広すぎず、ライブが見やすい 一番好きな場所です。

フロアを囲むように一段上がったところにグルリと固定されたカウンターと椅子。

いつもならライブは前の方で楽しみますが、その日は撤収作業で疲れていたのと、
背が低いのでフロアに降りるとステージが見えづらいことがあり、
ステージが一番よく見える中央のカウンターの椅子に座りました。

残念ながらチケットの半券は捨ててしまったので、今となっては整理番号がどのくらいだったのかわかりませんが、
割と人気のある中央のカウンターに座れたということは比較的番号が良かったのではないかと思います。

開場からしばらくして続々とお客さんが増え、満杯になりました。

「もう少し前に詰めて」とスタッフからの声かけが何度かあり、
後ろのお客さん同士が「ソールドアウトだって」と話す声も聞こえてきました。

開演時間が過ぎてまだかまだかとお客さんの期待が最高潮に達したとき、
客電が消えて、3人が登場。

大歓声、盛り上がるフロア。
よく見るとカートはパジャマ姿...!

3人がスタンバイし、それぞれ確かめるように音を出し合った後、

カートの第一声は「グッモーニン!」

「Negative Creep」で勢いよくはじまったライブは、早くも大盛り上がりで会場全体が沸く。

ライブが始まってすぐに驚いたことがありました。
それは、フロア前方少し左でポンポンを振りながら踊ってるお客さんがいたこと。
(チアガールなどが持ってるあのポンポンです)
2〜3人いたかな…?

ライブは数え切れないほど行きましたが、
ポンポンを振ってる人を見たのはこの時だけです。

一段高いところから見ていた私はこれがかなり気になって、
(え...そういうバンドなの?!)と思いましたが、気を取り直してすぐにライブに夢中になりました。

ブリーチからの曲も織り交ぜながら、ネバーマインドを中心に矢継ぎ早に曲が演奏されていく。

時折ボソッと次の曲名を言うだけで、MCらしいMCはありません。

「Lithium」、「Breed」と続き、会場は一段と盛り上がる。

ギターのリフが印象的なショッキングブルーのカバー曲「Love Buzz」が終わると、早くも去っていく3人。

思わず「え!もう終わり!?」と口に出してしまった覚えがあります。
だって、まだ始まって3〜40分くらいしか経ってないような気がしたからです。

アンコールを促す拍手が起こり、再び登場する3人。

まだ全然聴き足りないお客さんの気持ちに反するように淡々と演奏は進み、
最後は期待通りというか予想通りというか「Smells Like Teen Spirit」で終演。

体感的には1時間もやってないくらいに感じました。

名古屋クラブクアトロはパルコの8階にあって、いつもはライブが終わる頃にはだいたいテナントは閉店してることが多いんですが、この日はまだ煌々と明かりが点いていました。

ふと腕時計を見ると、ライブ終演後とは思えないような早い時間だった記憶があります。

あまりにあっという間に終わってしまった印象だったので、それまで見てきたライブと比べてしまって、直後は(カッコよかったけど…う〜ん…)というのが正直な感想でした。

長らくそんな記憶だったのですが、ライブが思うように見られない今となっては、とにかくカートが生きて、名古屋でライブをやってくれて、そのライブをこの目で見られただけで最高じゃん!に変わりました。

ちなみに、音楽好きの年下の人にニルヴァーナのライブへ行ったことがあると話すと、すごく特別なバンドの、特別なライブ体験のように思われるようですが、
言い方はアレですが、当時はまだセカンドアルバムが日本に紹介されて間もない、人気上昇中の新人バンドの一つという印象でしかなかったんですよね。

なので、この時はまさかこの来日が最初で最後になるとは思ってなかったし、
この時はまだここまで伝説のバンドになるとも思っていませんでした。

同じくらいの時期に人気が急上昇したバンドの中には、レッチリやソニックユース、マイブラ、プライマルスクリーム、ダイナソーJr.、ティーンネイジファンクラブ…などなどがいて(←全部好き!)、当時は90年代初頭のオルタナ最盛期。

冒頭でも書いたように、フィッシュボーンやダイナソーJr.、そしてこの3ヶ月後にはレッチリのライブが名古屋でありましたし(←最高だった!)、
もちろんニルヴァーナのライブはすごく楽しみではあったけど、その時は数あるライブの中の一つだったわけでして。(ただその中でもニルヴァーナは当時からどこか危なっかしくて突然消えてしまいそうな儚げなものは感じていました。)

この2年後の1994年、短大を卒業して中古レコード店で働いていた私は、昼休みにお弁当屋さんで何気なく開いた新聞の見出しに言葉を失いました。

「カート・コベインさん自殺」(←本当にコベインさんて書いてあったのよ)


ここ最近ずっとライブへ行けてなくてウズウズした日々が続いていますが、本当に早く安心してライブが楽しめる日が来るといいなと思います。
そして、その日が来たらこれまで以上にライブへ行って、これまで以上に楽しもうと思います。

大好きな音楽やライブハウス、ライブ文化を守りたいのはもちろんですが、どんなライブだってもしかしたら最初で最後かもしれないから。

Nirvana LIVE 1992年2月16日(日)名古屋クラブクアトロ
1. Negative Creep
2. Been A Son
3. On A Plain
4. Blew
5. Come As You Are
6. Lithium
7. Breed
8. Sliver
9. Drain You
10. About A Girl
11. School
12. Aneurysm
13. Love Buzz
アンコール
14. Polly
15. Lounge Act
16. Dumb
17. Territorial Pissings
18. Smells Like Teen Spirit


本当なら来週末「森、道、市場」へ行くはずだったんだよなぁ。ハー...

omni-berry
https://omni-berry.com


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