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※無料公開【エピローグ】地域で愛されるユニクロに生まれ変われ

こんにちは。フリーライターの大宮冬洋です。
僕が2000年に入社した頃のユニクロでは、柳井社長が「服のマクドナルドを目指す!」と宣言していた記憶があります。
あれから20年後のいま、アジア各国を中心としてユニクロは世界中に広まりつつありますよね。
セルフレジの大規模導入などでは、マクドナルドよりも「先」を行っているようです。
マクドナルドはほとんど利用しない僕は、「コンビニ各社みたいな存在になったな」と感じています。
あれば便利だけど、なくなっても痛みは覚えず、他を探せばいい。
一番近くのファミリーマートが閉店したら、数十秒だけ遠くなるけれどセブンイレブンを利用するだけです。
洋服に関しては、我が家から徒歩1分の場所にある「ユニクロ蒲郡店」を年に1回ぐらいは利用しています。
でも、閉店してもほとんど何も感じないでしょう。愛着を持ちようがないから。ユニクロとしてもそんなウェットな客を求めていないはずです。
僕自身は、個人事業主としてユニクロとは別の「成功」を目指しています。
街の居酒屋のように常連客とつながる関係です。
お互いに顔が見えたほうが安心だし、一応は自立をしながらもときには公私混同して支え合っていきたい。
そんな気持ちで昨年8月には有料のウェブマガジンを始めました。
近所に住む友人や仕事仲間が読者になってくれたり、そんな読者の一部を取材させてもらったりして、楽しく働いているところです。
生活の面では、同じ賃貸マンションに住む他12世帯のうち6世帯とはLINEグループでつながり、おすそ分けや家飲みしています。
城郭みたいな一軒家に住む柳井さんのような大金持ちにはなれないけれど、仕事でも生活でも僕のほうが「豊か」だと断言できます。すべての局面に人間的な相互愛があるから孤独とは無縁なのです。
以下は柳井さんとユニクロにも「愛」を期待していた頃に書いた文章です。よかったら読んでください。

柳井社長、愛のない会社で満足ですか?

 東京都町田市のロードサイドにあったユニクロ町田店の跡地を12年ぶりに訪ねたのは2012年の1月だった。レンガ造り倉庫のような外観がそのまま残っているのを遠目に発見したとき、思わず「あった、あった!」と声を上げてしまった。勢いで最強準社員だった杉山にメールをし、栃木県まで会いに行った。
 あれから1年。月に1人のペースで町田店の元同僚を訪ね歩いてきた。9名と再会することができ、ユニクロの現役社員およびアルバイト、さらには町田店の常連客だった男性とも言葉を交わした。食事をしながら彼らの話を聞き、原稿を書いていると、当時の空気を少しずつ思い出し、社長の柳井に今さら問いかけたいことも出てきて、自分でも意外なほど筆が進んだ。フリースブーム前後のユニクロ店舗の様子を再現することはできたと思う。
 現在のユニクロは、ZARAやH&M、GAPといった世界的SPA(製造小売業)を猛追する売上高9000億円超(2012年8月期)の大企業に変貌を遂げている(※2019年8月期にはグループ売上高2兆2905億円)。小さな郊外型店舗だった町田店は、その成長過程でスクラップされた無数のひとつに過ぎない。
 柳井は初めての著書にしてベストセラーとなった『一勝九敗』(新潮文庫)の中で、「組織は仕事をするためにあって、組織のための仕事というのはない」「不採算店の閉鎖は自己変革の過程では、止むを得ないことである」と断言している。
 ユニクロブランドを開発する以前の1970年代には、さまざまなアパレルショップを作って試行錯誤していたようだ。

<売上が伸びず、うまくいかない店舗は閉鎖したこともある。おおげさに言うと、作ったりつぶしたり、作ったりつぶしたり。そんなことが好きだったのかもしれない。ちょうどオモチャをいじっているような。>

 新しい店をどんどん作り、失敗したら即撤退する。スクラップ&ビルドの推進は、売上と利益の拡大にまい進する企業の論理では正しいかもしれない。ただし、その場所で働いていた人たちはどうなるのか。組織や職場は儲けるためだけに存在するのだろうか。
 僕は違うと思う。人と人との出会いはそんなドライなものではありえないからだ。第一義的には「お金を稼ぐため」に集まった仲間でも、次第に信頼関係が深まり、その場所に愛着がうまれ、ひとつのコミュニティとして機能し始める。
「友情があるならば店舗がなくなっても勝手に集まればいい、本当にやりたいならば仲間同士、同じ場所で別の店を作れ」という意見もあるだろう。しかし、誰もがそんなに強くなれるわけではない。物理的に場所がなくなるとバラバラになってしまいがちだ。
 家族でもサークルでも会社でも、「場」を作る人にはそれだけの責任が生じる。それは、できる限り長続きさせる責任だ。自分が作った場だからといって「オモチャ」のごとく安易につぶして、そこで育まれていた人間関係を引き裂いていいのだろうか。

町田店のスクラップは「仕方なかった」のか

 10年以上も昔の話になると、正確な記憶は薄れて当時の感情だけが強調されて思い出される。長時間過ごし、日々さまざまなことが起こったはずの学校生活でも、「すごく楽しかった」もしくは「思い出すのも辛い」にざっくりと二分されることが多い。
 希望と野心を抱いて入社したのにわずか1年で辞めてしまった僕にとって、ユニクロは全体としては苦すぎる記憶である。自分の能力と適性の低さを思い知らされて挫折した。
 しかし、入社してから7ヵ月在籍したユニクロ町田店に限定すると、なぜか「いい思い出」しかない。辞めてからでも遊びに行ってしまうほど、職場が楽しく信頼関係で結ばれていたからだと思う。
 元スタッフたちと語り合って予想外だったのは、ほとんどの人が「町田店はいい店だったけどスクラップされたのは仕方ない」と思っていることだった。町田店は小さなロードサイド店舗だったので、駅近くに大型店舗を作る方針にそぐわなくなってきていたと指摘した人がいた。自分もひとつの職場で働き続けるつもりはないので、会社も変わっていくのは当たり前だと理解を示す人もいた。
 このようなドライな現状認識のもとで、今日という1日を過ごす職場はせめて明るく楽しいものにしようと努力していたのかもしれない。みんな大人だな……。
 僕自身もユニクロ退職後に父親の紹介で入社した編集プロダクションをわずか10ヵ月で辞めてフリーライターになった。長く付き合っている出版社や編集部もあるが、基本的には一期一会であり、仕事が永続するという感覚はない。
 連載中に町田店の関係者たちと言葉を交わし、自分のことも振り返り、ユニクロという会社に対する印象が少しだけ変わった。逃げるように退職した者としては、「峻烈すぎる、スピードが速すぎる」と文句を付けたくなるのだが、前向きに表現するならば「本当の実力主義が徹底されている」のだ。その方針は町田店という小さな店でも浸透しており、若々しく風通しの良い雰囲気をつくっていたことは否めない。
 ユニクロは、人、商品、店舗などすべての経営資源を四半期ごとの成果で冷徹に評価し、「世界ナンバーワンSPA」の座をいち早く奪おうと爆走している。スピードについていけない者は去らねばならない。在籍期間が長いだけの古参社員やスタッフがのんびりできる余地はどこにもない。それがユニクロの平均年齢を低めにとどめて、人件費コストの抑制に貢献している面もあると思う。

<事業が世の中で成功する秘訣は、社会の大きな流れをみて、その環境にあわせて自分自身が変えられるかどうかです。変えられた企業のみが生き残ります。企業は経営する人の意志で変えられます。世の中の変化と市場は暴力的です。そこでは自分の都合や自社の都合は一切許されません。企業はその暴力的な市場の影響を受け、安定と一番遠いところにあります。>
(柳井正『成功は一日で捨て去れ』新潮社)

 この現状認識と危機感は、ユニクロだけでなく「成功」している企業の多くに共通したものだろう。合理的で力強く、前向きだ。
 だけど何か大事なものが抜け落ちている。それは一緒に働く人、地域、客への愛情である。
 愛を「相手の弱さを理解して自己犠牲もいとわず救おうとする行為」と定義するならば、不採算の店舗を簡単につぶすことは対極にある。
 安くて便利なモノをいち早く提供する会社は、拡大競争には一時的に勝ち残るだろう。
 でも、誰からも愛されない。真の危機を迎えたとき、自分の利益を犠牲にしてでも会社を救おうとする人はいない。「合理的」な判断をして逃げ出すだけだろう。それは、その会社が誰も愛してこなかった裏返しの結果なのだ。

大手アパレル企業に勤める女性の言い分

 本書のもとになったWEB連載を続けていたら、大手アパレル企業の管理部門に勤めている女性(30代前半)から以下のようなメールをもらった。彼女によれば、離職率の高さとスクラップの頻度に関しては、ユニクロだけが突出しているわけではないようだ。

<アパレルには販売職というかなり流動的な人員がいるので、業界全体としては(離職する人は)とても多いと思います。薄給なため、業界を変える転職も多々あります。スクラップ&ビルドもユニクロが特別多いとは思えません。売場のスクラップには、以下①〜③がどのアパレルでもあります。
①不採算で継続せず(企業側が決めた撤退/百貨店やディベロッパーに出店継続の拒否など)
②ブランドがなくなった(事業として中止/ライセンス更新できず/他ブランドと統合など)
③店舗が入っている館がなくなった(百貨店などの閉店/全館リニューアルのため長期休業等)
 ユニクロのスクラップはほとんど①によるものだと思われます。②と③に関しては仕方がないと思われるかもしれないですが、実際にそこで働く現場の人からはたくさんの不満が出ます>

 町田店のスクラップ理由について、この女性の見解は元店長の木内と一致する。単体で黒字店舗であっても、収益性とブランドイメージの双方において「不採算」と見なされたというのだ。

<(経済成長が続いていた)昔は、立地に少しでも隙間があればとにかくたくさん出店する傾向がどのアパレルにもありました。でも、現在は大きな店舗に統廃合することでコストを削減し、収益率を上げていく方向です。売り場の面積を倍にしても人員は倍増する必要がありませんからね。(歩行者からの)アイキャッチの面でも品揃えの面からも、店舗を大きくすると存在感を増すことができます。ユニクロ町田店は単につぶされたのではなく、近隣の新しい大型店舗に統合されたと考えるべきでは?>

 実際、町田店のスクラップが行われた2002年以前に、近隣に青葉桂台店、青葉台東急スクエア店、駅前の町田ジョルナ店(現在はジーユーに業態変更され、巨大な町田ミーナ店へ移転済み)がオープンした。木内、野村、山田と僕はそれらの店に異動し、準社員とアルバイトスタッフの一部も「ジョルナに移らないか」と打診された。
 町田店はスクラップされたのではなく統合されたのだ。雇用はむしろ拡大している。ただし、現在の町田地域のユニクロ店舗には町田店での勤務経験がある人はいない。それでも「統合」と言えるのだろうか。

「いいお店」「いい会社」とは何なのだろうか

 ユニクロ町田店の事例を踏まえて、これからの「いいお店」はどうあるべきかを考えてみたい。「店舗」を「職場」と言い換えるならば、あらゆる業界で働く人に共通するテーマである。この点は、先述のアパレル社員も必要性を認める。
「確かに、何をモチベーションにして働くのかというのは大事なテーマだと思います。ユニクロのような会社では『グローバルマーケットで勝つ!』といった大仰な目標はあるかもしれませんが、個々のお店や売り場に愛着を持てるシステムがありません。人間の集合体である組織が、効率性を追求するだけで存続しうるのかには疑問が残ります」
 ユニクロ町田店はスタッフたちから愛されていた。準社員出身の佐藤によって作られた明朗な雰囲気を、Aランクパートの杉山が引き継ぎ、佐々木や浜田などによって支えられてきた。規模や立地がプラスに作用した面もあるだろう。このような店舗は人為的・短期的に作ることはできない。
 現役アルバイトの石田が勤める「仲が良くて和気あいあい」とした店舗も同じだ。いじられキャラの店長、ムードメーカーの男性準社員、しっかり者の女性準社員などがバランスよく集まって融合した上に成り立っている。
 いずれにせよ、町田店は多くのスタッフの手で時間をかけて形成された「お店」だった。その店を別の場所に移転しても、同じものを引き継げるわけではない。土地と人間が織りなして醸成してきた風土のようなものが失われてしまうのだ。
 あくまでセルフ方式の店なのでそれぞれの従業員に「客がつく」ことはないだろう。ほとんどの客は、「いい商品がお値打ち価格で手に入るから」という理由で来店しているはずだ。ただし、無意識のうちに店舗全体を包む空気を感じ取っているはずだ。買いやすい売り場も含め、すべてを支えているのはスタッフという人間なのだから。
 ユニクロ町田店を訪れていた客は、知らず知らずのうちにあの和気あいあいとした雰囲気を楽しんでいたと僕は信じている。全国どこでも同じように見えるユニクロ店舗で忙しく働くスタッフ個々人の表情に注目してほしい。そこに安心と自信が感じられるだろうか。
 地域で長く愛される店作りという視点を、ユニクロのような大手チェーンにも取り入れることはできないのだろうか。一貫性や効率性、変化対応のスピードなどはすべてダウンするため、「ファーストリテイリング(早い小売り)」を標榜するユニクロには受け入れがたいことかもしれない。
 しかし、地に足をつけて暮らしている個人が長く働くことができず、消費者としても長く愛せない店舗や企業の末路はどうなるのか。成長と同じぐらいの急激なスピードで見放されていく気がする。より安くて便利なものが現れたら、乗り換えない理由がないからだ。
 いずれユニクロの経営が行き詰まったとき、「大好きな店(会社)だから私が支える、立て直す!」というスタッフや顧客は現れないだろう。店舗がなくなってしまった後に、「真面目で温かい店だった」と懐かしく思い出すこともない。
 そんなのは寂しすぎると僕は思う。
 町田店を作ってくれたユニクロに、グローバルだけではなく地域でも愛される会社に生まれ変わってほしい。

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