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betterであってmustではない。

 小さなことをコツコツを日々積み重ねていけるやつは強い。強いし憧れちゃう。だけど、西川きよし師匠が目をかっぴろげて言う「小さなことからコツコツ」ってのは、できればベターだけど、できなければダメ(死んじゃう!)っていう程にマストなことではない。

 ときどき問題として感じるのは、「ベターなことをマストだと思い込んでいる、あるいは、思い込まされている」ことにある。そのせいで息苦しい日々が目の前に横たわる。

 それは自分の思考の癖のせい、ってのも原因の一つとしてあるのだろうけど、その根本にあるのは、「そういうのが普通なんだよ」と悪魔のように囁いてくる社会の”構造”そのもの。社会が会社に圧をかけ、社長が部長に部長が課長に課長が平社員に圧をかけ、その社員が家族に圧をかけ.......みたいなプレッシャーを押しつけるように共有しているからじゃないか。

 「しょうがないんだ、それが大人ってことで、生きるってことだ」と言われたとて、納得はできない。その負の連鎖に巻き込まれるくらいなら、その思想が沸き立つコミュニティからは抜け出したほうがいい。それでしんどいよ、苦しいよ、死にたいよ、と思うくらいなら、とことん逃げてしまえ。それは明日をコンティニューするための逃げなんだから、生存戦略的撤退だ。ドラゴンを倒すのは明日じゃなくてもいい。そして、もしかしたら、その逃げるってことが、生きるってことになるのかもしれない。

 気持ちが落ち着かなく、あわあわしちゃうときって、”そもそもの前提”を疑う余裕や元気も無くなっちゃってて、すぐそばにある大きな人や言葉に飲み込まれがちだ。

 そんなときは、ひとまず深く深呼吸、それから、今自分思う「当たり前」や「やらなくちゃいけないこと」が、「当たり前じゃない」や「やらなくてもいいこと」になるような世界観があること少し想像してみる。囚われた枷を外すために、いったん立ち止まり、批判(クリティカルシンキング)してみるだけで、狭くて窮屈だった道はふざけ回れるほどに広がっていく。

 そうやって、自分で自分を解放する練習を繰り返していく。あ、もちろんこれもマストじゃなく、ベターなこととして。あと、浴槽にお湯をためてお風呂に入る、美味しいものを食べる(できたら自分で作る)、動物園に行く、とかはオススメ脱力。その時間の中での気づきに光あれ。

(とはいえ、とはいえだ。ちょっと明るい方向が見えたからといって、今を無理やり素早く抜け出そうとして、うさんくさい広告とかには引っかからないように、ね。そこんとこ、夜露死苦!)


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