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恩送られ

「恩返し」は、受けた恩をにその人に直接返すことだけど、「恩送り」は受けた恩を別の人に送ることをいう。

はじめて、この考え方に出会ったのは、バーで働きはじめてからだったけど、よくよく考えてみたら、「先輩に散々おごってもらってきたから、後輩におごるようになる」という構図そのものだ。

恩を本人に返すことはもちろん大事なことだけど、それだけでは「未来がさみしくなる」という感覚が30近くになって芽生え、恩送りの意味をスルメのように噛みしめるようになった。

上の世代から、下の世代へ。その流れを自分が止めてしまうことの危うさときたら...。

ぼくがバーという場に興味を持つようになったのは、10コ上の先輩のおかげだった。酒の飲み方を知らない、20になったばかりのぼくをいろんなバーに連れまわしてくれたから、今の自分の在り方があると思う。だからこそ、バー離れをしている(と言われる)次世代につなげたらと、恩を送り方をつい考えはじめてしまう。

そういえば、お世話になっている、もう60を超える大家さんが口にしていた。

「昔の町会長が、若造の自分たちにどんどん新しいことに挑戦させてくれたのを覚えているんですよ。だから、今度は、自分がそういう機会をつくってあげれるといい循環が起こるんじゃないかって」

これも恩送りの一つで、おそらくずっと昔から受け継がれてきた思いが、次へと続いていく。凡庸な表現だけど、やっぱり「リレー」なんだと思う。世代を超えて、ぼくらはチームで、未来に向かって走っている。

バトンをもらったのに、後ろに戻すことや、そこで走ることを止めたり、パスを回すことを放棄したら、先行きはえらく不安になる。

半生を反省すると、ピンチの連続で、恩をもらってばかりの、”恩送られ”のぼくだった。「い、いかんぞ、それでは!」ということで、時間・金銭・場にめちゃくちゃ余裕があるわけでもなんでもないけど、できる範囲で、少しずつ恩を送っていければなぁ。

とまあ...恩送りについていろいろ書いたけど、30までの残りの1年については、恩返しの地域巡りをできればと思う。とりあえず、お世話になった漁師さんがいる平戸島に行かなくちゃ、だ。

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