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コンビニエンスを手放したらどうなるの?

 3.11とコロナはなんとなく似てるなぁ、とふと思った。

 何が似てるかと言えば、「首都圏にいる意味ってなんだろう?」を考えるきっかけを多くの人が与えられていること。

 かつてライターとして「移住」に関わっていたとき、地方移住した人たちが、その移住(ないし「引越し」)を考えたきっかけとして「3.11」をキーワードとして口にする人は少なくなかった。

 持論をいえば、「『地域と人は付き合い方次第』でしかなく、恋愛みたいない『相性』がそもそも大事ですよね」である。だから、東京のような都会をディスるつもりはない。

 ぼく自身が(沖縄出身で)東京を経由して鳥取にきてもう3年目になるのだけど、「東京が嫌で...」という気持ちは一つもなく、言ってしまえばさきほどの3.11も関係なく、「水木しげる」というキーワード一辺倒でしかなかった。

 むしろ、定期的に東京には仕事も絡め行くようにはしてるし、舞台のエンタメに関しては地方だとそうそう敵う気はしないし、遊びの幅という意味でも都会はすごい。また、技術や情報がキュレーションされてるのは事実だし「学ぶ」場所として捉えてみるのもいい。

 つまりは、鳥取に移ってはきたが、東京との付き合い方や距離感が変わっただけの話ということ。そうなんだけど、、あれ、何が書きたかったんだっけな。。

 あ、思い出した! 成瀬さんのnoteを読んで、「あ、そうなのよ」と思ったことを書きたかったんだった。(前置きがムダに長くなるのは悪いクセだ汗)。

東京ほど便利な街はないから早まるな!
でも、人間は環境に慣れるからこれをきっかけに移住するのはアリ

 という結論までに「コンビニは必要かどうか」の話が出てくるんですよね。「コンビニないと生きていけないと思ったけど、鎌倉に済んだら生きていけることに気づいた」という自身の変化についての話が。

「東京ほど利便性のいい街はない」

 成瀬さんの言葉を借りつつ、ボクもこれは同意見ではあるし(だから東京都にもちょくちょく行く)、そのうえで今は、鳥取大山町という利便性のわるい町に住んでいる。

 コンビニまでの距離はそこそこあるし(車を使わなくちゃいけない距離)、そもそもスーパーや飲食店すらも少ない(どこからまともな商店街が一つもない)ところである。

 そりゃ「不便だなぁ」とは死ぬほど思うのだけど、不便なら不便なりに知恵を使うようになる(これまで楽して使っていなかった脳みそを使うようになった感じ)。

 買い物が億劫であまり行けないなら、月1で業務スーパーでまとめ買いするとか、オンラインショッピングで補うとか、とはいえ、野菜は家庭菜園レベル(適当に)で作ってみるとか、工夫すればクリアできることばかりだった。 

 あと、もう一ついえば、「田舎暮らしは車がないとできないよね〜」とずっと思っていたし、ほとんどの人がそう思ってるかもしれないが、免許すら持っていないボクが3年目の大山町を不自由なく暮らせているのも、その環境に飛び込んでみた結果の産物であったようにも思う。

 それがないと駄目だと思っていたものは、そこに飛び込んでみると案外どうにかなるもんだ。そのおかげで、知識量(新ジャンル)が増えるし、新たな自分という人間の一面にも気づける。

 人は知らず知らずのうちに環境適応していくし、それ以上に、ほどよく追い込まれた状況では火事場の馬鹿力を脳みそに注ぎ込む生き物のようである。

意味なんてのはあればベターかもしれないけど、案外なければないで、事が起こったときにうまくまわっていく。というか、うまくまわしていくように人は努めるものだ。本当の意味での、なんくるないさぁ(何もしないでどうにかなる、じゃなくて、努力してどうにかする)、なのである。

 つまり、コンビニエンス(便利)を手放すことでしか、見えない世界、掴めない価値観があるってことなんでしょうね。

 あっち側に行ってみたい(興味がある)のに、こっち側のロジックや価値観をもとに、あっちに行ったときのことを考えること自体が、実はナンセンスなのかもしれない。それで良い決断なんてできるのか?みたいな。

 さて、冒頭の話にちょっと戻ります。

 べつに東京のような首都圏にいようがどこにいようが関係なく、コロナというウイルスと共存していかなくてはいけない今の状況は、あらためて「自分の暮らし」を見直し、どう改善すると、のびのび気持ちよくやってけるのかを考えていくためのチャンスであると思う。

(むしろ、「リモートワーク」や「脱・印鑑」などこれまで考えなくちゃいけないのになんとなく流しちゃってたものが露呈してきたものも多いような気もするから、不幸中の幸いとも言える)

一度立ち止まることで、どこで誰と生きることが、自分にとっての幸せなのか?という、労働者でもなく、消費者でもなく、自分の生を活かす人として、考えるきっかけ

  移住計画の田村篤史さんの言葉を借りれば、そんな感じであって、アフターコロナといわず、ど真ん中コロナのこのタイミングで考えたことを言葉にし、オンラインでも人に共有してみたり、こうやってnoteに書き出してみたりして、次の暮らしに向けてじりじり動き出せればいいんじゃないだろか。

 とりあえずはすぐにできることとして、「今目の前に当然のようにあるコンビニエンスを手放すとどうなるの?」というちっちゃな問いについて一度考えてみるのはいかがでしょ?

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。