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マァムの武闘家転職からふと考えた「個」と「チーム」の関係性

 個として伸びるか、チームとして伸びるか、その決断はいつも悩みどころ。

 Netflixでアニメ『ダイの大冒険』の配信が始まっていたので、まんまと観てしまった。来年再びアニメが始まること、そして、少し前にYouTubeでRPGプレイ動画を観てしまったこともあり、その勢いのままに45話を一気に。

 幼少期に観ていたのもあって懐かしいし、忘れていたストーリーを思い出すためのリハビリになっており、「あ、これは原作も読み直さなきゃな」と思うほどにテンションが上がってしまうほど。

 今回ふと気になったのは、勇者ダイと一緒に冒険していた僧侶戦士・マァムの立ち位置と決断だった。物語が進む中で、マァムは、これまで頼りにしていた自分の武器を失い、非力さに気づき、パーティから抜けるという選択をした。

魔弾銃が修理不能となり、自分以上の回復呪文の使い手であるレオナの存在を見た事で、今の自分の立場を考えるようになる。

マトリフの痴漢行為から跳ね除けた際に、「父親譲りの馬鹿力」と言われたことがきっかけで、持ち前の力を生かそうと武道家への転職を決意、一旦パーティから離脱する事になる。

 今の状態で一緒に冒険しても、自分は助けられてばかりで足でまといになってしまう。だから一度パーティを抜け、転職して修行することで個としての力を高めよう。

 そんな意思をもって、マァムは苦渋の決断をしたのだけど、ここがヒジョーに感慨深かったのだ。大人になってみると、自分自身のことや、身の回りのことに重ねながら観るというオヤジ臭さのせいだろう。

 基本的に、チーム/企業(パーティ)で動くことは、馬力も出るし、仲間にカバーしてもらえるものが増えるのでいいとは思うのだけど、どうしてもそういう環境に甘んじてしまい、個としての能力を上げきれないときがある(ときどき、チームの力が個の力と勘違いしてしまう大馬鹿野郎もいる)。

 本当の意味で、チームで動けるときの利点というのは、個の能力の掛け算が、戦闘力(パフォーマンス)を上げたり、たがいのカバーをしあいながら、一人では倒しにくい敵(プロジェクト)に向かっていけること......だとボクは理解してるのだけど、そもそもの「個」がない状態だと掛け算するときに脆弱だったりもする。

 逆にいえば、なんとなくみんなで動くことに慣れすぎて、惰性でなんとなく「チームで」という選択ばかりをしていると個としてのステータスは磨かれにくい。もしかしたら、一人二人の個に頼りすぎて、他の個がその足を引っ張ってる可能性だってある。また「何が何でもチームで動かなくちゃ」という心の枷が生まれていたら、それはそれで中の人はきつかったりもする。

 だからこそ、時と場合によっては、チームよりも個の行動にフォーカスできたほうがいいこともある。マァムがいい意味でチームの歯車になれるように転職と修行の道を選び、一度パーティを離れるという決断にシビれちゃったのだ。逞しいし、偉い!

 「個」と「チーム」、どっちで動くのが向いてる/向いてないもあるから、どっち良いとか悪いかとかも安易には言えないのだけど、多様な個の総量がチームとなり、もっと大げさにいえば、個の実践の積み重ねと同時多発的運動がチームをより良くし、それが会社だったり、地域だったりを形作っていくんじゃないだろうか。 

 まず個があって、チームがある。個のおかげで、チームが活きる。チームが、個を殺さない。そんな関係性で育っていく世の中だといいなぁ、と思っただけの「ふと」でした。

 そして、ポップよ、マァムは強くなって(色気をあげて)帰ってくるからもう少しの辛抱だぞっ!

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