見出し画像

情けない点はいづれ線へ

収集癖がある身としては、集めてきたものにつながりを見い出せたとき、興奮してくる(サンドイッチマンのあれじゃないが)。

「なんとなく気に入ったから」と理由もあいまいなことが多いけど、”点”として集めてきたものが”線”としてつながる瞬間はハッとする、アドレナリンがドバ~っと出てくる感覚だ。

まず一つ目は、去年見つけた松本人志のツイート。

自分で自分をおもしろがるって大事な才能なのかもなぁと思ったのだった。

二つ目に見つけたのは、京極夏彦の対談集『妖怪大談義』での、水木しげるのことばだった。

自分を喜ばせるため。自分が面白いからです。読者は水木さんの次なんです(笑)

自分を喜ばせるために、妖怪研究をし、描いているだけ。という彼のことばには嘘が一切ないように思えたし、漫画というツール、表現方法をみつけた水木しげるがうらやましくなったのを覚えている。

最後は、うつくしくない謙遜はやめようよ、と違和感を投げかける三浦さんのnote。

そもそも “一億総クリエイター時代” は、人を甘やかす言葉じゃないです。自分のケツを思い切り叩いて、誇りを大きく持ち、ドンと構えて生み出すべきです。覚悟を持つべきです。

それぞれ違った時系列のなかでみつけたものだったけど、それぞれ「心を打つものがあった」、いや、「ドキリとさせられた」というほうが適切かもしれない。

自分のやることに対して自信のない、自己否定をしがちな自分を三度も見つけてしまったからだ。

そういうのできてるけど気をつけなくちゃな、という「自戒を込めて」みたいな意味には程遠く、ただただ自己肯定感が低いびびりな自分の性分を目にしてしまっただけで、「うわぁ、情けねぇな、おい」と思ってしまったのだ。

自分の認めたくない部分を認めざるえない”情けない線”が描かれてしまった。こりゃもうどっしりと構えながら、自分のつくっているものに向き合っていくしかないですよねぇ...。

とりあえず、このnoteに関していえば、自信を持って「ぼくはビビりだ!」と宣言できることで、すこし先の自分が読み返したときのマスターピースになるんじゃないかと思って、書いている、堂々と書ききっている。

(恥ずかしながら×100くらいの気持ちだけど)

この記事が参加している募集

熟成下書き

もしも投げ銭もらったら、もっとnoteをつくったり、他の人のnoteを購入するために使わせてもらいます。