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ハンバーグの下のパスタとやさしさの思考回路

 その”声”に賛成にしろ反対にしろ、その声の主について深める癖が付くといいんだろうな。

 日々、大好物のTwitterをウォッチしてるとそう思わされるようなユーザー同士のコミュニケーションを何度も見かける。

 一瞬の、しかも、その言葉のさらに一部をいいように切り取って、揚げ足をとるかのようにアンチコメントを並べる所業。

 政治家や芸能人の不祥事ニュース記事にちょっと言葉を添えてつぶやくだけでも何か気に入らなかったのか、痛烈にシビれるリリックを投げつけてくる輩もいる。全然メロウじゃないし、エモくもない。

 彼らはスマホを覗くことでトランス状態になれる摩訶不思議なスイッチを持ってるのではないかと思うほどである。そして、なぜか「鬼に金棒」状態で、自身の正義の石をいきなり通行人に投げつけてくる。それじゃ避ける余もキャッチする余裕もないから困っちゃうぜ、ほんとマイッチング。

 無論それとは逆に、自分の機微に触れるようなすんごい胸に響くつぶやきもあれば、熟考を手助ける良質な問いをそっと置き去るようにつぶやく人もいるし、少し深読みしなくちゃいけない迷言をつぶやく人もいたりで、とにかく言いたいのは、「ほんといろんな人が好き勝手いろんなことを書いてるよ」ってのがTwitterなのだ。

 どうです、死ぬほど普通のことを黒字で書いててビビったでしょ。

氷山の全体を思い描く、そのために

 どんなツイートであっても、それはほんのごくごく一部、氷山の一角でしないのが事実である。そして、そのとき目に見えているものを全てと捉え、相手の人となりを判断するのはちょいとまだ早すぎる。愚直だ。

 想像をする。文脈を探る。行間を読む。

 表に見えるものだけでなく、その裏側にあるものの息遣いを感じ、関心と配慮をもって始めて、その氷山の全体の大きさが、輪郭が、質が掴めてくる。まずは、その相手を知ることである。好意/敵意のどちらを持っていようが、おろそかにしちゃいけないことだ。

そこをチェックするのは超基本として

 参考になるかわからないけど、ボクの場合、Twitterで良くも悪くも違和を感じたツイートを見つけたとき、その言葉の意図を探り、相手を知るためには次のようなことをしている。

①その人のBioをまずチェックする
②ブログなどのurlリンクがあればページを覗く
③その人の名前でググったり検索をかけて関連記事を拾う
④著名人であれば最低wikiだけでも確認し人物背景を押さえる
⑤ツイートの前後を観察してみる
⑥ツイートのネタ元(動画、音源)があれば関連するパートをさらっておく

 正しく知ろうとするなら、最低でもそれくらいはやれたほうがいいと思うからで、それはマナーだとも思っている。

 その前提の上で、あらためて違和な言葉を眺め、自分の中にある賛成や反対の意見を深めればいい。調べれば調べるほどに「やっぱりな!」と予想通りの事実に辿りつくこともあれば、その反対に「あ、そうだったのね...!」と意外な事実に出くわしたりして、敵意が好意に、またその逆に、好意が敵意に変わることだってある。

 その経過のなかで、予備知識が蓄積され判断基準はおのずと増えていく。ちなみに、その調べ癖がある程度身に付けば、自分が好きなやつだけじゃなく、嫌いなやつからも学びを得ることができる(こいつは人生二倍楽しめる劇薬メソッドだぞ!嘘)

 主語の範囲が広がり少々大げさかもしれないが、いかに日本人が情報の”発信”の術ばかり気にしてて、情報の”受信”の術をおろそかにきたのかが想像できるし、言葉をうまく読み取る力がないものが、質のいい発信などできるわけがない。

 つまり、そんな状態では、言葉のキャッチボール(コミュニケーション)を上手くできるわけないのだ。SNSに見かける不和というのは、その相手を知ろうとする配慮(いうなれば、読解力)の欠如によって多産されている。

無知は判断を鈍らせる

 この話の流れでふと思い出したのが、こちらの記事。「なぜ勉強をするのか」という問いに対して、「知識や教養があると色々なことの理由が分かって不満が減る」という一つの解を示していた。

 この「ハンバーグの下のパスタ」の謎が教えてくれるのは、無知が判断を鈍らせている(そのせいでコミュニケーションエラーを多産してしまっている)ということ。

 これは、「知識や教養」に限らず、さっき触れたTwitterでつぶやく相手の「情報/背景」にも同じようなことが言えるのではないだろうか。

 ほんのちょっとの関心と洞察があれば、表には見えていなかったものが見えてくる。言葉の捉え方が変わる。判断基準が増え、多角的に言葉が精査でき、賛否中立、どの立場を自分が取りたいのかを鮮明にする。

やさしくあれ

 ちなみに、ボクはそのより深く知ろうとする姿勢こそが「やさしさ」だと思っている。

 テレビ番組のちょっとしたインタビューなどで「やさしい人が好きです」とふわふわしたような発言をする女性を見かけるが、毎度ながら「そのやさしいって抽象度高過ぎやしませんか? そのやさしいって幻想なんなの!?」とその言葉は眉唾ものである。

 そんな「やさ男」が好きな人にあえて言わせてもらいたい。言葉や物事の裏側への探究心をもって、人間を、世界を知ろうとする男こそが「やさしい」やつである。そういう人を見つけたら、モリをぶっ刺すんだ! 一点集中でよーく狙い撃つんだ! 一度刺したら決して離すんじゃないぞ!! 

 まあ、でもなんだ、「かわいい」と同じように「やさしい」もある程度はつくれるだろうから、そこらへんはちゃんと見極めるのは忘れないように...。

 と、最後死ぬほど話が横に逸れちゃったけど、ポジティブでもネガティブでも何か気になる誰かの言葉を見つけたら、「探偵になって推理しちゃおうぜ」ってことである。たぶん、ボクが言いたかったことは(最後の最後で新たな例えですみません)。

 現場検証はちゃんとやろう。あちこち手がかり探しにもいこう。どこかにトリックが隠れてるだろうから。謎を解けば解くほど、推理力あがるよ。

 さて、さんざん言いたいことは書けたので、ボクは未解決の事件、「なぜあの子は『やさしい男』が好きだと言ったのか」その真実を探るための調査に出ようかと思う。

 真実はいつもひとつ! みんな、上っ面の言葉に騙されるなよ!! 疑え!!! 探れ!!!! そして、聞いて!!!!! こんなに「!」マーク使ったの初めてだよ!!!!!!

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