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フィットすることばで世界(思考と状況)を伝えられているか?

なんのために、ことばを学ぶのか。

去年の春から「大山カレッジ」という町民大学で英語(50分×2コマ)を担当させてもらっている。平均年齢65歳前後の生徒さんが20人ほど、週1回通って、さまざま授業を受け、学び直しをする場となっている。

若者たちの学びと違って、「忘れることを大前提に学びをつくる」という意識をより持たされる諸先輩方に向けた授業づくりは、毎度ながらぼく自身の学びになっている。

オリエンテーションのときに直接聞いたが、前任の先生の影響もあってか、英語に対して苦手意識どころか嫌いという感覚を持ってる方も多かった。生徒間の英語の知識もかなり差があるなか、どう学びをつくっていけるかものすごく悩んだ。

アクティブラーニング的な観点から、ただプリントを配りその説明をしていくような一方的なものにはしたくなく、耳を口を頭を使っていけるような時間にしたい。そう、そもそもの英語の学び方の選択肢を増やせていけるといいんだろうなぁ、と気づいて、授業づくりを進めてきた。

世代が違うからこそ、デジタルをどう活用していけるのか、その可能性も感じてもらえるといいかもれない。

また「英語」という枠組みで担当させてもらったが、日本語も含め、もっと広く「ことば」について考えるきっかけにもできればと思った。さっくり書くと、「自分の思うことと目の前にある状況をことばにできる練習(法)」を学べるようなアプローチにできないものか、と。

より自分が伝えたいことを、伝えたいニュアンスで、フィットすることばを選んで使えるように。「みんながよく使ってるから」という理由で、自分の胸がむず痒くなるようなことばばかり使ってしまっていやしないか?

そうならないよう、英語でも国語でも何語でもいい。ことばを学んでみる。結局のところ、ことばはコミュニケーションツールであり、使いこなす自分がどう在りたいのか、ことばの扱い方を変えることでどう世界(を見る目)が変わっていくのか、が大事になってくる。

ことばを学ぶ意味について、そもそも問えたらと。過去授業の記録については、時間あるときにまた書き溜められるといいなあ。

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