そよ風で消える夢
むかーし、むかーしの話。といっても、自分の昔の話なもんで、実際には童話ほどの昔ではなく、約20年前くらいの話になるだろうか。
自分でもびっくりするくらい絵心のないボクがこんなこと言うのも恥ずかしいのだけど、小学生3〜4年くらいのときは、漫画家になりたいと思っていた時期があった。
休み時間はもちろん、学校の授業の合間を縫っては、モンシロチョウの写真がついた自由帳に絵を描いていた。いろんな漫画を読んで、ガキなりに模写してみたり、コロコロコミックと吉本新喜劇で学んだギャグセンスを活かして4コマ漫画なんかも描いてみたりもしていた。
今思えば、あの頃はあの頃で、技術はないし、一向にうまくなる気配はなかったけど、充実していたような気はするし、今の行き過ぎた言葉でいえば、リア充な日々を、クオリティ・オブ・ライフは良質であった。
たぶん、自分が得手/不得手を越境して、シンプルに「描くのが好き」というエンジンを小さな体に積んで、ガシガシと動いていたんだろうと思う。良い意味で、後先考えず、現実の小難しいことはシカトして、パッションだけでやりくりしていたような日々でもあった。
そんな毎日が続いていたある日、自分の描いた漫画を見せびらかしたかったのか、たまたま家に来ていたいとこのおじさんに自分の作品もどきを見せ、漫画家になりたいことを自慢げに話した。
そのときは、なりたいランキング1位が漫画家で、2位は医者だった。その2位の話も聞いたうえで、日本という島国の、さらにまた沖縄という島県の、さらにさらに離島という片田舎で暮らしていたおじさんはあっさりと「そりゃ医者を目指したらいい」と言った。
漫画家は当たれば億万長者だけど、医者は当たらなくてもそれなりに稼げるから。たしか、そんなことを言い分だったっけな。
バカなクソガキだったボクは、堂々の第1位を否定され、作品については何も触れられてないくせに、鼻をへし折られた気分になり、その日以降、漫画らしきものを描かなくなっていた。小さき者のハートってのは脆く、繊細なもんだ。そよ風ほどの風圧で、その火はたやすく消える。と今なら、強い実感のもとに言える。
でも、今冷静にジャッジすると、そのおじさんの言葉に対しては、「そら、ちょっと違うんじゃないか」と思うことだらけだ。そもそも、漫画家の卵の人すら知り合いもいなくて、情報のリアリティもなく、ただただテレビで仕入れたくらいの情報をもとに、ごくごく一般的なことを言ってるだけの発言に胡散臭さを覚えるし、「やってもいないことを諦められるかよ」という反骨魂ばかりが働いてしまう。
何が正解かなんて言えないし、そのおじさんも責められるわけもないんだけど、もしも、あの時、「漫画家になりんたいんだ」と意気揚々に言う自分に対して「おう、そうか、いいじゃんいいじゃん、目指してみろ」とガキの挑戦をおもしろがってくれていたら、今はちょっと違っていたんじゃないか。
…...というタラレバな妄想をしてしまったのが、最近のこと。夏ってのはなぜか幼いときのことを思い出しやすい。フラッシュバックサマーだ。
そんなこんなで、今、自分の子どもたち(いや、大人に対しても変わらんかもな)との接し方の根っこにあるのは、「おもしろがる(努力をしよう)」なのであって、お調子者を増やすことによって、新しい芽が摘まれることなく、いつかどっかで咲き実るといいよねー、なんてことを悠長に考えていたりするわけです。はい。
あ、ちなみに、2位の医者については、小6あたりで「血が苦手だーーー!」と気づいて、そっこーで諦めました。で、その後に、ジャーナリスト的なことがしたいと思いはじめ、20代中盤辺りで、地域をまわって取材仕事をできるようになったのは、わりと近しいことができてたのかもと思ったり。
凡庸な言葉になるけど、人生ってどうなるかわからんもんね! ちょっとしたことですぐに振り回さちゃうんだからさ。
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