発達障害と都会

ここ数年来、有名人や知識人が発達障害をカムアウトする案件が続出している。流行?なのだろうか…、それでも、これは自分の見聞きしているごく狭い範囲でいえば、わりと早い時期から見られた仕草だったのである。というのも、2000年代前半に上京してすぐルームシェアをした連中はいまはなき「新宿モア」にて日夜屯ってるゲーマー連中だった。その家にはウメハラとかマゴとか、その他諸々の名のある人達もたまに出入りしていた。一つ屋根の下、よくもあんなフリークな連中と暮らしていたなとあらためて思うのだけど、その時である、なにげない日常会話の中で、はじめて「ADHD」なる言葉を耳にしたのを覚えている。「毎日遅刻したり、片付けができなかったり、とにかく、だらしがない人のことを”ADHD”っていうらしいよ」「それ、完全に俺じゃんw」云々。ゲーマーたちは自身の発達障害的気質を十二分に自覚していたはずだ。言うまでもないことだが私は例外的な環境に身を置いていたのであり、みずからの体験をもとに性急に結論をだして一般化するのは誤謬につながりかねない点は十分に自覚している。ただゼロ年代前半の新宿は間違いなくベルエポック状態だった。その路上では良くも悪くも人間の生身の混淆があり、日々、異種交配が起こっていたのである。ありとあらゆる出来事、人、物を多すぎるほど見つけることができたのである。凄まじい街だった。いろんなものを見せてもらったし、聞かせてもらった。だけどそれゆえに「...昔、こうだった」と述べる根拠に据えるのは不適切である。特殊な世界なので一般化に寄与しない。今述べていることは、すくなくともこの国で当時、最尖端を走っていた場所の住人たちの間では「発達障害」の”ニュアンス”はわりと定着しており、しかもほぼ全員(多少なりとも)該当者であり、わざわざカムアウトするまでもない「あまりに当たり前の事」として共有されていたという、あくまで個人的な印象である。

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