AIアートの名作?
なにわともあれ今年はAIアートの年だったのだろう。
8月頃、Midjourneyで生成した画像がガチの絵画コンペで1等を獲得したことにより世間の注目を集めた。
この件、美術界・AI研究界隈はもとよりネットでも広く言及され議論を呼んだのだが「AIと絵画」というキーワード自体は初耳ということでもなく、ただ、それまでAIの作品でいまだひとつも「おおっ!?」ってなったことがなく誰が先勝を獲るかのゲームみたいな気がしていたので、アレン氏は見事それをやってのけた形となった。
もっとも「獲られちゃった」ともいえるわけで本職?の方々にとっては湿っぽいというか若干残念なニュースだったのかもしれない。なお肝心の作品(「宇宙オペラ座」)については個人的には「これ漫画だろ」という感想以上のものではない。
YOUTUBEにわりと長めのインタビューがあったので紹介しておくと、
アレン氏の本職はゲームデザイナー兼経営者ということだがさほど技術=テックに詳しいわけでもなさそう。ほんとうの美術の完全素人が芸術史に残るというパターンはそこまで珍しくないので(ルソーやらコーネルやらボイスやら)
この人も例に洩れずその点鬼簿に載ることになるのかもしれない。なお作品の最終版にいたるまでに何度もフォトショップで手を加えたり印刷して手直ししたとのこと、人力と手間が加わっていることを氏は(いちおう)強調している。
まあこのドヤァなほざきっぷりはAIブームで沸騰している「オツムがオムツな」方々特有の共通した思考回路なのだけれど。AIに大量に芸術作品のデータをインストールさせて学習させればそのうちにピカソ顔負けの芸術作品をいくらでもつくれるようになると主張したいらしい。
これフィリップ・K・ディックですね?
アレン氏にかぎらずTwitterにもわんさかいる「AIアート、到来!」って叫んでるアート関係者、みんな現実を生きてない人という印象。なんか古いんだよな。
あとこれはエンジニア経験者だとお馴染みの話なのだけど、生産を目的としているのではなく生産者を生産に従事すらさせず、もはや目的すら忘却して手段や方法(テック)に熱中させる、という現象に近似している。
その時点で言うまでもなく「仕事」というトータリティは失われており、その者らの目的は目的としての体を為さず(そのかわり”目的”的に専ら)テック信仰や誇示のままに留まる。
つまり最終的にはテックの進化のためだけにテックが使われるようになり極まってくると専門家たちによる「管理のための管理」がなされるようになり、領域からクリエイティビティは決定的に失われる。
とくAIアートの場合、著作権絡みの問題と相まって。
「終末」の方向性はわりと早々に見えてきている感じはある。
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