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お念仏法話③「共命の鳥」

娘y氏がお浄土に住む鳥「共命の鳥」のお話を聞いて、4コマ漫画を描いてくれたので、掲載させていただきます。

共命の鳥1


『仏説阿弥陀経』というお経にお浄土に住む6種類の鳥が出てきます。

その中に「共命之鳥」「共のいのちの鳥」と書きますが、その鳥は、大変美しい羽毛を持ち、とてもきれいな声で鳴くと言われています。
なぜ「共命」というか?それは体が一つで頭が二つある鳥でいのちを共有している鳥だからです。

片方をカルダ、もう片方をウバカルダといいました。
ある日、カルダとウバカルダがどちらも「わたしの頭の羽毛は比類なく美しく、声も世界一美しい」と主張し合いだしました。

そして互いに憎みあい争うようになり、遂には「片方さえ亡きものにすれば、この私が世界一になれる」と考えるようになり、ある日ウバカルダが密かに毒を混ぜ、カルダに食べさせました。カルダはもちろん死にましたが、ウバカルダも体が一つですから、ともに死んでしまいました。

この愚かな事件があってから、お浄土の共命の鳥は「相手を滅ぼす道は己を滅ぼす道、相手を生かす道こそ己の生かされる道だよ」と鳴き続けていると言われるのです。
(本願寺広島別院・安芸教区に掲載されている内容を参考にさせていただきました。)


お互いに相手の頭の羽毛や、歌声を称え合うことが出来たら、もっとお互いに幸せに暮らすことができるのでしょう。これは鳥の姿で私達に表してくださった仏さまのみ教えなのです。私たちにもこんな出来事はなかったでしょうか。考えてみると、結構あるのではないでしょうか?

これは私の姪と甥の話です。まだ二人とも小学生低学年の時に、親から毎日おやつを貰っていました。そして、この姉弟は貰ったお菓子全部食べずに、半分机の引き出しにしまうんだそうです。賢いですね。貯蓄を知っているんですよ。私だったら貰った分だけ食べてしまいそうです。そして、弟の方がより賢いんです。どう賢いかというと、しまう時には自分の机の引き出しにしまうんですが、食べる時には、自分の引き出しからは出さないんです。お姉ちゃんの引き出しから出して食べるんだそうです。ですから、お姉ちゃんの引き出しにはいつもお菓子がなくカラッポ、そして弟の引き出しのお菓子は増える一方です。

そんな弟の行いがばれる日が来ました。ある時、お母さんが部屋の掃除をして、息子の机の引き出しを開けると、出るわ出るわお菓子の山だったそうです。古くてカビが生えているのもあったそうです。弟の方は失敗しましたね。

「奪い合えば足らぬ 分け合えば余る」という言葉があります。また、お菓子を奪い合えば憎しみが生まれ深まってしまいます。しかし、同じお菓子をお互いが一緒に分け合って食べたら、喜びは二倍になります。

しかし、いかがでしょうか?頭ではそうは思っていても、実際問題、社会の中で私たちは日々人と比べては、競争したり、一喜一憂することが綺麗ごとじゃなく多いのではないでしょうか?
それが相手や自分の心に良い影響を与えないことは頭では理解しているつもりです。しかし、いつも余裕をもって相手を思いやり、冷静に褒めてばかりとはいかないのではないでしょうか。
かくいう、私も日々周りの人と自分とを比べて一喜一憂し、人からよく見られたいという思いが生まれる時があります。「すべてのいのちは同じように尊い」という仏様のお話をしながら人と比べるのです。そんな囚われの心から離れることができないものはどうしたら良いのでしょうか?

阿弥陀という仏様はそんな私をどのようにみられるかというと、「あなたは他人事じゃないから、救わずにはおられない。」とおっしゃいます。
実は仏様は私と一心同体なのです。共命鳥のように、いのちを共にしてくださっているのですね。
私たちは自ら執着の心から離れられず、相手を傷つけ、自分まで傷ついていくのです。
そして仏様に対しても、そっぽを向き「そのようなこと聞いておられるか」と仏様に傷を付け、毒を与え続けるような日暮しです。
しかし、阿弥陀仏は私から決して離れることはされません。何故なら他人ではないからです。

根っこに「自分さえよければ」という毒の思いを抱え、それにより苦しみ悩みにもがき苦しむ私に「どうであってもあなたを支えるよ。なぜなら、あなたが救われないと私が救われないから」と見てくださるのが阿弥陀という仏様なのです。
阿弥陀様は、「あなたを救う仏がここにいる!どうか任せてください」と何度も私を喚びつづけてくださる仏様です。
その喚び声は南無阿弥陀仏と、別の所ではなく、まぎれもなく今ここの私のところに届いているのです。

『仏説阿弥陀経』に説かれるお浄土の共命鳥はそのことを教えてくれているのです。

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