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義務教育から体育の時間、なくしちまえ!!

義務教育から体育の時間をなくしちまえ!!

「健全な精神は健全な肉体に宿る」ので、体育の時間は必要だと言うだろう。

「健全な精神は健全な肉体に宿るときもある」と言いかえるべきだろう。ほらほら、テレビや新聞を見てごらんなさいな。オリンピックで活躍した人やプロ選手の不祥事であふれてないかい??

もちろん偉大な成績をのこし、立派な人は沢山いる。では、なぜ義務教育から体育の時間をなくしちまえ!!と言うのか。

体育の時間でストレスやイジメ、劣等感を植えつけられるからだ。

昭和の小学校にはドッジボールという競技があった。長方形を書き、長方形の中央に線をひき敵味方に陣地をわける。長方形の陣地内で、敵味方にわかれバレーボールぐらいのボールをぶつけあう競技だ。

ぶつけられた選手は、長方形の外にでなければいけない。外にでた人間は、外から敵陣を攻めたりできる。長方形のなかにダレもいなくなるまでボールのぶつけあいを続ける。あとは内と外から敵陣を攻めたりできる。

細かいルールはいろいろ違うかもしれない。ドッジボールのおおまかなルールは、ボールを当て合う競技と考えてもらえれば大丈夫だ。

ボールをはやく投げるヤツがいたり、ボールをキャッチするのがうまいやつがいる。ボールを避けるの苦手なやつ、ボールが怖くてキャッチするとき目をつぶるやつ。ドッジボールが得意なやつ、苦手なやつがでてくる。

ドッジボールはふつうにプレイすれば、20~30分でゲームは終了する。

ここで問題となるルールが登場する。『顔面セーフ』だ。

顔面にボールがあたっても、陣の外にでる必要がなく、プレイ続行できるのだ。危険な顔面を狙わないために作られたルールだ。セーフティールールを悪用するやつは必ずでてくる。

あえて敵チーム一人を残し、延々と顔面を狙いつづけるのだ。体育の授業が終了するまで、ずっと。

ネチネチ、バチバチと執拗、嗜虐的に顔面を狙い続けるのだ。

顔面を狙われた人間は、亀のようにうずくまったり、片目が紫色に腫れたり、メガネに細かいヒビがはいったり、やられたらたまらんデ。ちょっと可愛いから調子にのってると言われて狙われた女の子もいた。

見てるほうも、とめようがないデ。と思う反面、ターゲットにならずホッとしていたりする。

こういうとき教師が止めるべきだろう。教師は止めなかった。それどころか笑っていた。赤いジャージをきて、白いTシャツ、Tシャツの下の腹はタヌキの置物ようにポッコリしており、パンチパーマにサングラス。右手には竹刀をかついでいた。

昭和には存在したんだぜ、こんな体育教師が。いま見たら怖いと思うんだが、当時はなぜか怖さをあまり感じなかった。ニワトリが胸を張ってイキってるように見えていた。直観的に頭の悪さをかんじていたのかもしれない。

このような光景は、大なり小なり体育の授業で繰り広げられているのではないだろうか?

身長や体重、運動神経、水が怖いなどの問題で、体育はどう頑張っても平等、均一になることはない。体育ができず劣等感やコンプレックスを抱えたり、運動ができないせいでイジメ問題にも発展することもあるだろう。

勉強も出来不出来はあると思うが、勉強はやったかやってないかの差があるだけと考えている。

運動はやっても上達しない人はいる。身長や体重のせいでハンディを背負ったりする。体育の授業を体重別や身長別にするのはドウだろう。平等になる気がする。

身長や体重別でクラスわけするのはメンドくさい。ならいっそ、音楽や絵画、書道のように体育の授業を選択科目にすればよい。

ハァハァ、ゼェゼェと苦労する必要などない、貴重な酸素を消費し、二酸化炭素を排出する必要はないのだ。全国の体育の授業をなくせば、どれだけ二酸化炭素の排出を抑えられることか。絵や書道をしているほうがよっぽど有意義だ。体を動かしたい人間だけ体育を選択すればいいのだ。

残念ながら、体育の授業がなくなることはないだろう。せめて体育の苦手な人達が劣等感やコンプレクッスをいだいたり、イジメられないことを祈る。

ドッチボールの転がったボールをとろうとして、右手の小指を骨折し、右手の小指がS字になっている男のささやかなお願いだ。


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