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治療の決断(自己免疫性肝炎)

入院するならいつからにしよう。

バセドウ病検査で意図せず肝機能の数値が3ケタに戻ってしまったことを知ってから、私はずっとそんなことを考えていた。

全然でない応え。

診察までには見つけなくては。焦る心でようやく取れた乳腺外科の検診日、仕事の予定、手帳とにらめっこしながら荷造りや準備に要する時間も考え、最短で7月20日から、できれば9月からかなとうっすら考えていた。

6月29日。自己免疫性肝炎のため大学病院に通院した。

病院の入り口に「面会について」という紙が貼られたあった。そこには、ご家族の心配も積もっている状況を踏まえ、15分程度の面会が可能になったということが書かれてあった。

今日の検査結果次第で、恐らく入院が決まるだろう。その状況でこのお知らせは少しばかり、私の心を軽くしてくれた。誰がくるなんんてことはないけれど、病気も仕事もプライベートも不安定な心のままで誰にも会えない監禁状態になるのは、体よりも先に心が壊れてしまいそうだったから。

うん。ちょっとだけ運がよかったのかもしれない。

この日も診察前にお決まりの採血が控えていた。この血でこれからが全て決まる。採りなれている血だけれど、今日はなんだか特別な採血のような気がした。この結果が悪かったら、入院を決めよう。ステロイド治療を始めよう。抜かれていく血を見ながら、私は自分に自分で言い聞かせていた。

採血の日は朝ご飯を食べずに病院に向かっている。そのため採血が終わると食道のほうへ移動し、診察までの間、持参したパンをほおばっていた。

予約時間の10分前、食堂から診察待合室に向かった。今日も相変わらずなかなか名前が呼ばれない。次こそ、次こそ、そう思いながら1時間くらい待った頃、ようやく名前が呼ばれた。

診察室に入ると先生は想像していた通りのことを言った。

「やっぱり治療始めないとダメだね。」

画面に映る数値は、伊藤病院の時よりさらに悪化していた。

ヘモグロビン: 5.01H
ヘマトクリット: 46.6H1

総ビリルビン: 1.7H
AST(GOT): 131H
ALT(GPT): 218H
ALP: 279
LDH: 172
γGTP:36

IgA: 163
IgG: 1847H
IgM: 187

ALBIスコア: -2.69
ALBI grade: 1

私はもう腹をくくるしかないと思った。とはいいつつ、今すぐ数か月仕事を休む勇気も、その間病院で暮らすなんて非日常への困惑も払しょくできず、この場に及んでも戸惑っていた。

入院期間はどのくらい?副作用は?たくさん質問する私。先生は、体重を確認すると3~4週間くらいの入院で、副作用は人によるから何とも言えないとのことだった。

「できれば9月からがいいのですが」

優柔不断の私。思わず口から出たのはこんな言葉だった。私だってわかってる。でも7月、8月が仕事の重要なタイミングだっていう状況も相まって、最後の粘りを見せてしまった。私はそんな仕事人間じゃない。どちらかと言えば働かずに生きてきたい、そう思うタイプにもかかわらず、今会社を休んだら、居場所がなくなってしまうのではないかって不安ばかりが押し寄せて、どうすることもできなかった。

それでも、できれば早く始めたほうがいいという先生に従わないことはできず、7月14日から1週間、その後週1通院、できれば仕事はテレワークをすることという話で決着をつけた。7月13日のプチ大きな仕事だけやり遂げようというのは、些細な、ほんの些細な責任と誠意を出したつもりだった。きっと誰もわかってくれないだろうけど。席がなくなるときは、こんなこと忘れて席がなくなっているはずだ。

診察室を出ると、会計を通り、そのまま入院の手続きやヒアリングに入った。今回も苦手な牛乳は避けてもらうよう懇願させてもらった。さすがに、ごはん220gがきついというのは言えなかったけど。

そういえば、難病申請って私は適応されないのだろうか。看護婦さんに確認すると、入院して先生に聞くように促された。

この日がやってきたか。やたら空が遠く感じた。

健康診断から9か月。ついに治療が始まる。このあとどんな未来が待っているのか、なるべく笑って過ごそうと思いながらも、生まれながらのネガティブな顔が現れて不安で押しつぶされそうな自分がいる。

大好きだったお酒を最後に飲んだのはイベントの時だった。ドリンクチケットのオーダーを考えている時、そんなにお酒を欲しているわけじゃなかったけど、同じ値段ならお酒入っていたほうが得かなって、軽めのお酒でカシスオレンジを頼んだ。若いころの私にとってカシオレなんてジュースって感じって思ってたから。それを飲みきれなかった時初めて、私は自分の体調の異変を自覚した。

ちょうどそのイベントのライブアルバムが発売された。お酒は飲めなかったけど、ものすごくいいライブだった。作った人の感性のままの表現に感動したライブ。

あの日に私は自分に気づいて、ライブアルバムが発売されたタイミングで治療が開始されることが決まった。

同じタイミングだった。



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