感動したささいなこと
大学生の頃、一度だけ格闘技を見に行ったことがある。
本来、格闘技は興味もないし、なんなら痛そうで怖いから見ない。
それでも見に行くことにしたのは、大学で英語のクラスが一緒の雄介が大会に出場することになったからだ。
雄介は、女好きのクラスメイトという印象だった。
英語のクラスにいた彼は、ガタイのいい体躯に爽やかな笑顔が特徴的だった。
下ネタを言っても「まあ雄介なら」と許されてしまうようなやつで、みんなから好かれていた。
言動も少し”アホっぽく”、嫌味のない人柄は魅力的だった。
そんな彼はアルバイトや勉強の他に、格闘技のジムに通っていた。
たまに顔に傷やあざを作ってくる雄介を、みんな奇異の表情で見ていた。
そして誰かが聞くと、雄介は「格闘技をやっていて」と楽しそうに話すのである。
なぜそこまで仲良くなったかはよくわからないが、英語のクラスのメンツ何人かでご飯に行ったりしていた。
飲み会やバイト三昧の大学の友人らとなんとなく馬が合わなかった私にとって、体育会系に所属している自分と同じようにスポーツを本気で打ち込んでいる雄介は仲間だと思っていた。彼から格闘技の試合に誘われたときには行ってみようという気になった。
場所はたしか後楽園だった。
雄介の出る試合は前座のような扱いで、客もまばらなすり鉢状に席が設置されたスタジアムで行われた。
格闘技に疎い自分でも、後楽園は特別な場所ということくらいは知っていて、大きな会場でやるんだなと驚いた。
会場に客は少ないものの、いかつい見た目と体躯をした人がたくさんいた。
刺青が入ってる人も多く、綺麗なシャツを着た大学生である自分はかなり浮いていた。
それでも2階席くらいの高さに設置された自由席で人があまりいないところを見つけて腰掛けた。
試合が始まる。
白色のライトに照らされたリングには上裸でボクサーパンツを履いた雄介がいた。かなり鋭い目をした雄介は別人のようで、迫力があった。
「お、いつもと違ってかっこいいな」と思っていた。
ゴングが鳴る。
おそらくその格闘技はK1と呼ばれるもので、蹴りも許されているようだ
。
雄介はパンチに加え、その日有効に効いていたローキックを繰り返す。
会場には肌と肌がぶつかる鈍い音が響く。
それに加え、セコンドにいた人からも声が飛ぶ。
「ロー!ローだ!」
「雄介気を抜くな、攻め続けろ」
「いけ、前に出ろ」
私は気づいたら涙がでていた。
普段、なんとなくおちゃらけている雄介が目の前の相手を倒すことのみに集中し、全身全霊をかけて相手にぶつかっていっているその迫力に
圧倒されたことが起因だ。
また、セコンドから飛ぶ声に「絶対に勝たせる」という本気が滲んでいた。
祈りとかではなく、明確な意思が込められた声音は切迫感さえ感じた。
試合は結局判定に持ちこまれた。
ただ、私は涙でぐしょぐしょで勝敗を覚えていない。
目の周りがはれ、体を赤くしている雄介に見惚れていた。
その後、メールを一本入れて帰路に着いた。
そしてその圧倒された感情はずっと私の目頭を熱くさせた。
本気で何かに打ち込む姿は、たとえ自分が興味がなくてもここまで感情を揺さぶるものなのだと驚いていた。
雄介とは英語のクラスが離れてから交流がなくなった。
ただその空気感はずっと自分の中に深く刻み込まれていて、部活をやるときにふと浮かぶことがあった。
「俺も本気でバレーボールにうちこめているか?」と雄介から睨みをきかされているような、そんな気持ちになった。
大学を卒業してから7年が経つ。
なんとなく久しぶりに思い出した雄介に睨まれた気がした。
自分はあそこまで本気で何かに向き合うことができているだろうか。
秋が来てすぐに年末が来る。
この一年をどう締めくくれるのか、今一度雄介の睨みを思い出して考えてみたいと思う。
今、本気で取り組めていることがあるのか?
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