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SF・タエコ

 風は、タエコと観た映画を想い起こさせる。
 真夜中。宮益レンタルあたりから仁丹ビルを背にして城南電気を抜ける。郵便局を過ぎボクシングジムのあたりを風は私たちを押し続ける。何も考えることもなく身を任せる安楽に浸るわずかな時間。坂を下りきったところでエスコートは終わる。風はここで混じりあって渦を巻く。渋谷駅南口界隈。上着をタエコの肩にかけ風を塞ぐ。
 観たい映画があるわけでもなく、たまたま東急文化会館のパンテオンでやってるオールナイトに飛びこむだけだった。入っていきなりエンドクレジットが流れていることもあれば、あっと驚くクライマックスの最中ということもある。結末から始まる冒頭は悪いものではなかった。週末ということもあり封切初日が多かった。映画の情報もなくコーラ片手に腰を下ろす。サイコロを振ったように決める映画鑑賞だったが、万が一興味深い時間を過ごせるかもしれない淡い期待もどこかに秘めていた。最低限、渋谷でない景色が流れていれば十分だったし、タエコからもこれといった映画のリクエストもなかった。空白のまま対峙するものはだいたい面白い。観た映画は私に教えてくれた。思ったより面白い。の、思った。が抜けているだけで人は幸せを感じることができる。

 スクリーンでは、マイケル・ジョーダンがワーナー系の犬やウサギのキャラクターと戯れながら騒動を繰り返し、銀河系のどこかでバスケの試合をしていた。子供の頃、九州の田舎の子どもにトムとジェリーやダフィ・ダックが届くのは早かった。キャラクターの絵の入った赤ちゃんのよだれかけや湯呑み、それにパジャマやTシャツなどの流通はディズニーよりも早く、何故かバッグス・バニーのCAPをかぶった爺さんが耕運機を操っていたりしていた。版権が緩かったのだろう。その印象がワーナー=田舎という印象を私に植えつけたのかもしれない。
 子供の頃の自分に響かなかったコミックの世界に、どういうわけかNBAのスーパースターが実写で閉じ込められている。目の前のマイケル・ジョーダンは、アメリカのどこかのスタジオのブルーバックを背に、誰かに言われるがまま一人芝居をさせられている。宙を彷徨う死者の目線。金のためとはいえクールとはほど遠い撮影現場を私は想像した。その滑稽さは、輪郭で切り抜かれた一流アスリートと自分を重ねて見せた。閑散とした館内とけたたましい音響。空回りするばかりのエンターテインメントは、こんな時間になっても私を逃さなかった。

 タエコの額に手をやる。依然として高い熱は続いていた。
 三日目の徹夜で私たちは疲れ果てていた。それでも早朝の用事を済ませるまではどこかで眠るわけにもいかなかった。朝までやり過ごすために映画はなるべく長尺の作品か、あるいは繰り返し観るに耐えるものだと有り難かった。しかし、その夜のアメリカ製の合成アニメーションは多分に洩れず、痙攣した原色の光とおちゃらけた効果音で埋め尽くされていて90分以上継続される期待は見込めなかった。最低限の期待だった街の背景も観ることができないまま、お決まりの大逆点劇で物語はすぐに終わった。
 3時25分。切符を買い替え、隣のスクリーンへと私たちは向かった。Xファイル劇場版。正確なタイトルは知らないが、打って変わって観客の多さに驚く。私は序盤の爆発シーンあたりでタエコと背を低くしながら最前列の隅の席にたどり着くことができた。テレビドラマの続きにあたる映画らしく、無駄な前置きがなくテンションが高い。あらすじを得なくとも一場面だけで雰囲気をなぞることができる。まるで地元の馴染みだけで盛り上がっているBarに初めて入っていく時のような気楽さ。私たちを放っておいてくれる心配りの利いた映画に私たちは身をまかせた。主人公がこれまで踏んだ経験値は、どうやら観ている者と同等か少しだけ上というレベルらしい。見たこともない何かに向かう。おそらく主人公には永遠に未知がまとわりつくのだろう。隣の席でタエコは、熱が少しだけ落ち着いたのか眠りに落ちていた。やはり、この映画は私たちにちょうどいい物だった。
 覚えのあるサウンドトラックで映画は突然打ち切られる。音楽が流れた瞬間に他の客たちはパブロフの犬よろしく、満足そうな様子で立ち上がり去って行った。劇場の出口にあるカーテンから漏れた朝日がナイフの先のように劇場の壁を照らす。壁ひとつで現実が待ち構える。
映画は主人公を目的地まで導くことを許さなかった。何事にも釈然としないことは必要で、結末と交換に観客に渡される疑問符。総ては始まりでしかないという凡庸な結末は人を今日に導く。
 タエコはずいぶん落ち着いた様子だった。私はエンドロールが終わって照明が灯るまで起こさなかった。すこしでも多く寝せておきたい。タエコがいつも身体を張って助けてくれていることを私は知っていた。

 すっかり日が昇って明治通りに昨日と同じ未来が始まる。
 タクシーの停車場のベンチでタエコは朝の風に吹かれている。熱もすっかり下がっていた。磁石のようにタクシーがやってくる。酒の臭いが残る後部座席にタエコを先に乗せた時の運転手は舌打ちを私は見逃さない。というか待っている。いつものように市ヶ谷の印刷会社の夜間受付へと向かった。私はそこで宛名と名前を書いてタエコだけをその場に残して帰路に着く。帰る先が仕事場であっても、私の一週間は終わりを告げる。

 タエコの本名を、私は訊ねたことがなかった。
 四六時中働きづめでも病むことのない丈夫な〈耐える子〉を、いつの間にかアシスタントたちがタエコと呼んだのが始まりだった。
 朝7時半。待たせていたタクシーに一人で戻る。これから築地でラーメンでもいいし、先週みたいに山の上ホテルのモーニングで、20に余る小鉢を目の前に並べるのも滑稽でいい。酒を飲んでないことに気づくのも、この時間帯のタクシーの後部座席と決まっていた。眠たいという理由で眠るのは負け犬すぎる。東京の真ん中。突然の解放に運転手に行き先すら言うことができない。空洞のような自由に哀しさだけがが襲ってくる。三光町。力尽き、言い慣れた単語を口にしただけだった。半分くらいの運転手が聞き返してくる。自由と引き換えのボロ雑巾に意思はない。別れたばかりのタエコが今頃どうしてるだろうと私は思った。タエコと引き換えに得た自由を私は車の窓からぶん投げたかった。

 雑誌の仕事を私はしていた。まるまる一冊ぶんのデザインを印刷所に入れるには、プリントアウトされた紙の他にデザインされたデータを渡す必要があった。ネットは創成期で不安定過ぎ、確実な納入法はCDROMに焼くことだった。それでも膨大な容量には膨大な時間を要すために、ある日私はCDROMでなく日常で使っているPCをそのまま印刷所に持ち込むことを思いついた。ただし夜間の精密機械の納入を印刷所は受け付けず、陽が昇るまでの時間稼ぎが私には必要だった。起きていなければ道端で眠ってしまうほどコンディションの落ちた私は、電源落としたての丸裸のMac本体と小さな旅をした。
 大きめの座布団ほどあるタエコは、私の雑誌専用のPCだった。
 単行本の装丁用のPCは設置されたまま、限られたフォントやアプリケーションで洗練したスタイルを私が厳守しているのに対し、移動を繰り返すタエコは多種雑多なアクセスと集稿の末にある汚れ仕事専用のマシンだった。世の中に残らない雑誌や書籍だけを選別しすべてタエコに押しつけたのは、すべて私だった。

 劇場の座席。薄汚れた電源コードが植物の根のように垂れ下がっている。
 コンセントの先は曲がってハの字になっている。それを直視する勇気すらなくて、私は薄暗い劇場に通った。
 そうやって私は過去にSFを生きていたのに、今はそれすら忘れようとしている。パソコンのリサイクル法などがない時代の話。私はいつ、どのようにタエコを棄てたの
だろうか。物語の結末は見えない。
 タエコの隣で、あんなに沢山の映画を観たというのに。〈了〉


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