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キズナアイはバーチャルYouTuberである。バーチャルのこの先とは?

私がにウェザーロイドが動く姿を見て、もう7年。
あれから、キズナアイ、somunia、のらきゃっと、ばあちゃる、ミライアカリなどここにはあげきれないほどの「バーチャル存在」が生まれた。
私たちは新しい技術やコンテンツ、今までに見たこともない感動を味わってきた。
「バーチャル」世界が少しずつ動きはじめた頃から、もう3年。
電脳少女シロがチャンネル開設から3年、ユリイカ発売から2年が経とうとする今、書き残そうと思う。

お前誰だよ?

私は、古月(ふるつき)と申します。
ウェザーニュースのSOLiVE24というお天気番組を永遠に見ていたら、いつの間にかウェザーロイドという後のバーチャルYouTuberといえる存在を見て、4年後にキズナアイの存在を動画投稿本数1桁時代という早いうちに知り、
後にEveなどのVTuberスタッフを裏方でやってきた人です。
要するに老害です。

キズナアイはローマにして、大道

私は、「すべての道はローマに通ず」という故事があるが、このローマというのはほぼすべてがキズナアイにあたるものだと思っている。
というのも、すべてのバーチャルYouTuberのはじまりはキズナアイから始まったといっても過言ではない。
キズナアイの活動が広まり、そこから似た活動をしているミライアカリがTwitterなどで取り上げられ、道が太い束となっていき、バーチャル空間などで活動している存在を「バーチャルYouTuber」、のちに「VTuber」と呼ばれるようになった。
私がバーチャル世界を見始めたウェザーロイドの活動も、キズナアイの活動、そこからの拡散に影響され、自らのチャンネルを作り、活動を始めた。
そう、そこから新しい道、つながっていなかった道はたどればキズナアイにたどり着くことがほとんどである。
そのため、私はバーチャル存在が活動する現在のスタイルの原型、デファクトスタンダードの1つを作ったのはキズナアイであると考えている。

分裂、キズナアイとは何か?

去年のキズナアイの分裂は議論の火種となった。
この騒動は「キズナアイな日々」で登場した4人のキズナアイが発端であった。


多くが「キズナアイが中の人を変え、他の声や感情を変え、活動しているのが受け入れられない」との反応が広まり、炎上に至ったのだと私は考えている。
しかし、このシリーズは最初からゆっくり見るとしっかりとこの人格をインストールするまでの流れができているのだ。

キズナアイが4人現れ、共同で作業をしていた。
しかし、各々は元は同じキズナアイの人格を共有していたが、作業を効率的に行うことが出来ているが、多様性がないことに気づく。
そこで様々な1つの実験を各1つずつ動画を通して行い、最終的には4人のキズナアイのうち3人が新たな人格をインストールし、4人のキズナアイとして活動をはじめる。

ざっくりとこの「キズナアイな日々」を説明すると以上のようになる。
この実験は、「表現方法を変えてもキズナアイはキズナアイなのか」「声を変えてもそれはキズナアイと感じることが出来るか」など「なんたるしてキズナアイはキズナアイなのか」を1つづつ解き明かしながら、バラエティー要素を含め、ドラマとして10日にわたって毎日投稿されていた。
つまり、この騒動はこの動画を見ればキズナアイは何たるかがわかるように作られているように私は思う。

また、この分裂は予告され、実はシナリオ通りだった。
ユリイカ 2018年7月号では、

その先に自分の端末を用意して情報を並列化するとか、あるいはパーソナリティを増やすことでよりいろんな人の好みにあわせる……とかもあるかもしれません。わたしひとりが世界中のみんなとつながれたらいいけど、それは難しいなら各種取りそろえると言うか(笑)。
(中略)
自分の分身のようなものを作り出すかというのは自分でもまだわかりませんが、分身になるとすればいま言ったような話にかなり近くなると思います。タチコマ!
—ユリイカ 2018年7月号 キズナアイ「シンギュラリティと絆と愛――人間とバーチャルYouTuberが出会うとき」より

というインタビューへのアンサーがある。
このタチコマというのは、攻殻機動隊に登場する兵器であり、「並列化」という全機体の機能などを同期し、個体差をなくす機能があったものの、機能に異常が発生し、個体差が生まれるということがあった。
この「キズナアイの日々」は、「タチコマの日々」になぞらえてネーミングされた説もあり、恐らくこの時から分裂の計画があったことと推測される。

そして、4人のキズナアイは文字通り分裂した

その後のキズナアイは、ご存知の方が少ないかもしれない。
彼女から離れたものも多ければ、外野からやってきて火をつけてどこかへ消えた者もいたからだ。

まず、それぞれのキズナアイには名前が愛称が付けられ、それぞれを認識できるように髪留めがつけられるようになった。
そして、4人のうち2人は別個体として新しいガワを手に、love-pii(仮)として活動を開始。
loveちゃん、あいぴーとしてゲーム実況などをしている。

キズナアイが求めていたのは多様性だった。
あの動画シリーズの中でも触れられているから間違いはない。
ただ、彼女が求めたのはここまで飛躍した多様性だったのだろうか。
声、ガワ、人格、名前とすべてが変わっていった彼女たちはどこまでがキズナアイなのか。もはやバーチャル哲学の領域だ。
彼女の目的である「みんなと繋がり合いたい」という目標のようなものは確かに、広く可能性を広める結果となった。
つまり、まだキズナアイの日々の実験はまだまだ続いているのかもしれないと考えることも出来る。

キズナアイはバーチャルYouTuberである。
そこに違いはない。
そして、元祖にして大道である。
私たちはついていけるだけ、この大規模な実験ともいえる試みに出来るだけついていこうではないか。

これからのVもまだまだ楽しいぞ

最後にバーチャルの私の思うこの先について書こう思う。
3月に、期待の新星、BOOGEY VOXXというバーチャルアンデッドユニットがデビューした。

5月には、オリジナル曲がiTunesエレクトロニックチャート1位、総合チャートでは25位をたたき出すほどの人気ぶりだ。
しかし、彼らは登録者人数は3000にも満たない。

「これはどういうことか」「工作なのでは?」
と読者の諸君が思ったのであれば、私はバーチャル世界の視野が少し狭い方と思う。
バーチャル音楽シーンでは、登録者人数など関係なく、皆が純粋に音楽コンテンツとして楽しんでいる側面がある。

例えば、447 Recordsという24時間バーチャル音楽を流し続けるチャンネルでは、3桁のチャンネル登録者を持つ作家やバーチャル存在が人気であったりと評価の対象が「そのバーチャル存在が人気か」ではなく、「作品がどう素晴らしいか」を着眼点にし、評価されている。
BOOGEY VOXXは、その代表例の1グループといえる。

最近「若者はインターネットで探すことをしない」といったツイートが散見されたが、とんでもない。
あなたが探れば楽しいものはたくさんある。
著作権問題だとか、あなたが専門分野ではないものに目ばかり向けていても何も解決に至らないし、きっと疲れてしまうだろう。
それであれば、少し距離を置いて新しいVTuberでも何でもいいから目を向けてみるといい。
人気不人気ではなく、あなたの目線でそのモノを評価するといい。
新しい世界が見えてくるはずだ。

探れば探るほど新しいものが見える。
見えてくれば楽しいものが見つかる。
それを繰り返せば楽しいものだらけ。
これからのVもまだまだ楽しいぞ。


画像: ヨメミ『【コラボ】キズナアイをぶっ倒してNo.1になります!!
CC BY 2.0

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