
移住者はお客さま!?
「移住者」ってだれやねん!
移住とは移り住むことであり、話し言葉で言うと「引っ越し」だ。あらためて「移住」と聞くと、なんだか肩肘張っている気がする。移り住んだ土地で、「なにかを始めてやるぞ!」「町を変えてやる!」と言った気合いさえ感じる。僕は「移住者」として鳴り物入りした。いざ住んでみると、地元の人に甘えてばかりの毎日だ。
田舎はカネよりコネ!
愛媛の山間にある田舎町、小田に来て丸3年が経つ。小田に暮らす人の年収は東京の平均年収の1/3の場合もある。実家で暮らし、畑を耕し、いらなくなったものは隣近所で譲り合う。エコロジーで効率的な暮らしだ。コスパが良くてエコな暮らしを実現するためには、お金と同じくらい、いや、お金よりも地元のつながりを大切にしていることに気付かされる。
地元に入らせてもらう感覚

移住すると暮らしのありとあらゆるものがわからない。浄化槽の汲み取り、ゴミ出し、秋祭り、畑の耕しかた。小田のみなさんは嫌な顔をほとんどせず教えてくれる。3年経った今でもわからないことだらけだ。水利組合?ホダ木?住めば住むほど小田の暮らしの奥深さを知ることになる。地元のつながりに入り込むにはまだまだ時間がかかりそうだ。

昔のおいちゃんたちにも感謝!
最近、小田のお米を売りはじめた。日本中に田んぼが広がっている。当たり前のようだが、考えてみれば昔のおいちゃんたちが石垣を積んで、水路を引いて意図的に作ったものだ。当たり前なんかではなく努力の結晶だ。森も川もみんなそうだ。なんの気無しにポッと移り住んできたが、昔、この土地に住んでいたおいちゃんおばちゃんたちにも、知らず知らずのうちにお世話になっていたことに気付かされる。
今を暮らす自分がすべきこと
移住者はご近所のみなさんにお世話になって、先祖代々のおいちゃんおばちゃんたちがつくりあげた小田という町に住まわせてもらっている。「移住者」として鳴り物入りしたが、すべきことは「小田の町を今の子どもたちに、より良い形でつなぐこと」なのかもしれない。憲法にも条例にも書いていないが、小田に住んでいる人はきっと、そういう想いで次の世代へのバトンを渡してきたはずだ。
3年間でやったこと

ここで3年間で岡山がやったことを簡単に紹介。はじめに取り組んだのが商店街の元本屋をシェアハウス、シェアオフィス「どい書店」としてオープン。(現在、喫茶や加工品製造業、イベント拠点として運営)。また協力してもらいながら近くで空き家になっていた銀行跡地をシェアオフィス、元旅館をシェアハウス、製材所兼住宅をイベント&宿泊所として運営したり関わっている。
若者が暮らしやすい田舎づくり!
活動が拡がるにつれて移住者も増え、5,6件の空き家に入居した。今、小田では人が減っている。子どもを産む若い世代が増えていないのだ。自分にできることは、おいちゃんたちが積み上げてきた小田を、いかに今の若者にとって暮らしやすくするか。この60年で世の中が変わり、田んぼを耕す農家が減った。時代にあった米づくりや暮らしをつくるのが僕の役割だと思っている。
楽しいところに人は来る!はず!
とはいえ、自分は美味しい料理が作れないし、農業スキルがあるわけでもない。なんにもできないのだ(笑)。開き直って「素直に楽しいなぁ」と思うものを手当たり次第やっている。人は楽しいor美しいところに集まる。楽しそう!写真映えするなぁ!美味しそうだなぁ!なんとなく行ってみたい!を作っていけば、人はおのずと来るはずだ。
わからないことは好きな人に聞く!

楽しさや美しさを作りたいと思うが、飲食店の運営や、映えるお店の作り方など、わからないことがたくさん出てくる。そんな時は自分が尊敬する人や「このお店好きだなぁ!」と思う店の運営者に根掘り葉掘り聞いている。恥ずかしくても聞くしかない!そして下手くそなりにやってみる!自分が小田のじいばあや、子どもたちにできることは恥をしのんで足を運んだり、やってみることくらいだ。
小田に遊びに来てね!
移住者は偉いわけでもお客さまでもない。地元という努力の積み重ねに乗っけてもらう立場だ。移住者にできることは限られている。地域の課題に悩みながら楽しみながら取り組んでみて、できないことができたら人に聞いて解決する。そうやって努力することが大好きな土地への恩返しなのではないだろうか。30年経った小田が今よりも暮らしやすくなっていれば幸せだ。ぜひ、ちょこちょこのぞきに来てください!
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