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並行世界を生きている

 価値観というか、考え方は人それぞれで、なにが間違いとかはなくて、小林賢太郎さんの舞台『ロールシャッハ』の中の言葉を借りるなら、

正義の反対は悪じゃない。正義の反対は別の正義だ。

であると思っている。(カッコイイ言葉!)

 ただ、価値観なり考え方が違うとなると、たとえ隣に立っていたとしても、それぞれの見ている世界は違った様相を呈しているのではないか。

 というわけで、ここから私の話…
 先日、出産予定日の近づいた友人とLINEのやりとりをしていたところ、未婚でふらふらしている私が心配だと返ってきた。
 不惑も目前の年齢で、出産できるリミットを考えると、友人としてもっともな心配だと理解できる。ただ私がハッとしたのは、結婚も出産もしない人生を見据えていた身として、私たち二人の価値観がズレていることに気づいたからだ。
 そのときは友人に「結婚が当たり前の世界に私はいないんだよ」と正直に伝えることはできなかったのだけれど。(違う価値観を伝えるときは慎重にならないといけない。ケンカを売っているようにとられたら困るから。)
 以上が、高校からつきあいのある友人と違う世界で生きていることを実感した、という話。

 それから、もしかすると、と考える。ほんとうは、もうずっと、違う世界を生きていたのかもしれない。

 ってちょっとオカルト過ぎますか?

 ひとつの考え方として、私たちはだれもがそれぞれ違う世界を生きていて、並んで歩いていても違う景色を見ていて、だから誤解したり食い違ったりするし、もろもろのすれ違いは起こるのだろうって、どうでしょう。

 私としては、並行世界を生きているんだったら価値観も考え方も違っていて当たり前だと、人間関係のだいたいのことに諦めがつくのですが。
 そして、たとえ異なる並行世界を生きていたとしても、お互いに歩み寄って価値観を共有できればある程度同じ景色を見れるんじゃないかと。

 つまり結論としてなにが書きたかったのかというと、だれかと価値観を共有するって時空を超えた邂逅みたいに壮大でロマンチックなことだし、もし達成できればとんでもない偉業ですよね、ということです。


#エッセイ #パラレルワールド #人間関係 #不惑 #ロールシャッハ #価値観

最後まで読んでくださりありがとうございます。読みやすい文章ってなんだろうと試行錯誤中です。