もしも身近な人が暴力に遭ったら
もしも大切な人が、例えばパートナーや親友が暴力被害に遭った時、どうするだろうと思った。
どうするかについては、私は性暴力被害者の方の裁判サポートをする仕事に就きたいと思っていた時期があり、
かなり研修も受けてきたので詳しい方だと思う。
だからもし、被害に遭ったり、
被害にあった人が近くにいるなら聞いて欲しいなと思った。そんな願いも込めて書いている。
もう今はお別れしてしまったけど、前に付き合っていた相手と付き合い始めの時によく話していた。
もし私がなにかの被害に遭ったら、もしあなたがなにかの被害に遭ったら
お互いに何が出来るか、まずなにをするべきか、そんな話し合いをよくしていた。
これはぜひ、大切な人としておいてほしいなと思う。
その時になると、何も考えられなくなるから。
でもきっと私がここまで話し合ったりしてきたのは、暴力と向き合う仕事を目指し、また暴力と隣り合わせの現場にいることもあるからだろう。
この話し合いは、とても大切だといまさらながら改めて思った。
いつだって「暴力」というものは突然で、その一瞬で、たくさんのものを破壊していく。
その時が来ることを考える日々というのは不安かもしれないが、備えておくことに無駄なことはないはずだ。
暴力被害というのは、色々な種類がある。
肉体への暴行、性暴力、精神的・心理的暴力etcそれらの被害に身近な人が巻き込まれてしまったとき、
その対応について考えたことのあるひとってどれくらいいるだろう。
本当はここに全ての知識を残したいけれど、今はその体力はないので、いずれ改めて書こうと思う。
もう昔のことなので書いてしまうが、私は学生の時に、性的な暴力の被害を受けたことがある。
その際に殴る蹴るなどの暴行も受けた。私には当時パートナーがいた。
それをきっかけにパートナーとは別れてしまったのだけど…これは仕方ないことだとおもう。
ボロボロになった私と日々向き合ううちに、当時のパートナーも潰れていった。
支えようとすればするほど、苦しかったのだろう。支えきれるはずがないのだから。
その作業というのは、本当に途方もない。
底の抜けたバケツにひたすら水を注ぐようなものだろう。
自責の念と、目の前の傷付いた私に対しての無力感と、様々な感情に心が追い付かなかったのだろう。
私は、自分の被害とともに、自分の被害を打ち明けることによって
この「暴力」は、周りの人をも壊すものなのだと知った。
あまりのその大きな力に、残酷さに、打ちひしがれたことを今でも鮮明に覚えている。
だから私は、たとえば、今被害に遭ったとしたら、信頼できる専門機関に全てをゆだねると思う。
被害に遭った上に、被害者が大切な人を失うことほど、しんどいことはないから。
そういう時は、「支えたい」と言われたとしても、頑なになってでも専門家の力を借りるべきだと思う。
後悔してからでは、いろいろなことが遅すぎる。
当時の私は、渦中にいる自分は、なにもかもに精一杯で気付いたら色々なものを失っていた。
今でも、今だって、後悔している。これは一体なににだろうか。
被害に遭ったこと、それを周りに打ち明けたこと、周りに背負わせた結果こうなったこと。
よく考えれば、あの時こうしていれば…の連続だったりする。
でも後悔しても時間は戻らない。あの時の私は、戻ってこない。
ただ前を向いて、進むしかないのだ。
自分ならもっとうまくできると思っていた、そんなことばかり。
でもそれって可能性なのだとおもう。
今ならちゃんともっと、一人でなくて、多くの手に掴まりながら立ち上がれるような気がする。
だって、そうでないと、困るのだ。
人生は時々、本当に理不尽だとおもう。
これを楽しめるくらい、心が強くなればいいのにな。
わたしはこれからも、楽しい人生を食い尽くしていきたいのだから。