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学ぶことって何だろう

学生時代、学校なんか行かなくても勉強できるよ
と、僕に言った人はだいたい大学院を出ていた

言った人の一人は今も尊敬してやまない師匠だった
大学院には何かあるのだと思ったし
大学院を出ているからこそ言えるのだとも思った

僕は大学院まで行くと心に決めた

紆余曲折を経て大学院に進学し、博士課程後期まで終えた
出た結論は、学校に行かずとも勉強はできるということだった

音楽大学から芸術大学の音楽科に進み、芸術大学の大学院に進学した
ここで学んだことは、音楽よりも芸術全般と言った方がよい

大学院で同級生のほとんどは音楽の必修科目以外も音楽の授業を履修していた
僕は、音楽は自分の専門で自分でも勉強できると思ったので必修以外は自分では勉強できなさそうな芸術の科目を履修した

ここで気づいた
勉強しようと思えば学校に行かなくとも勉強できる

大学院という施設をフルで活用しようとしただけで、学び自体は自分の中にある
何を学ぶのかも自分で決められる

大学という施設だからこそ、図書館や先生の話など
学びの材料となるものが多い

しかし、どうだろう
大学院を出てもなお学ぶことはたくさんある
むしろ、大学院で学べないことが山ほどある

この人は面白いと思った人は全て先生となる

昔は、学ぶところが学校しかなく情報がなかったのだ
だから、学校に行かないければ学べないという状況にあった

今はどうだろう
インターネットでいくらでも学べるし
いろんな人の話も聴ける

そう考えると学校なんか行くよりも学ぶ手段はたくさんある

大学を出ていないと、、
というのは就職のためでしかない

実際みんなそう思ってる
でも、本当はそうではない

学歴社会
大卒はあたりまえ
しかし、大学出たら、今度は大学のランクで優劣をつけられる

バカバカしい
どれもこれもお国が作った生産性向上のための口実にすぎない
(違うかな?よくわからんが大きくまとめるとそういうことだろ?)

学歴社会みたいなものなんざ、大化の改新あたりからあるんだよ
仕組みが違うだけ

その競争に参加するかどうかは自分で決められる

学校は専門家がたくさんいたり情報がたくさんあったり同じ専門分野の友達ができたり
そういった利点はたくさんある

でも、いい会社に入ったりお金を稼ぐことや社会的ステータスがほしいのなら
違うことを考えなければならない

自分がどうしたいかだけだな
なんの話だ?

よくわからんが、学ぶことってなんだろう?
今日も社会の風に吹かれながら
僕は僕の疑問の答えを探し続けるのだ

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