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小さなアーティスト宣言:アーティストについて考える

人生の折り返し地点をすぎた僕は今後の人生をおぼろげながら考える

社会の構成員としての責任を放棄した僕にとってこれからの生き方が重要になるわけだが、そこでアーティストについて考えたい

アーティストとは何なのか

日本語であれば芸術家と堅苦しい言葉になるわけだが、アーテイストというと途端にラフな感じがするのは日本語あるあるだろう

今の日本では何かするというのは何かにつけて「お金を稼ぐこと」と直結していて、職業と収入とアイデンティティーというのが一致していなければならない窮屈さがある

これはあるあるだが、例えば音楽をやっていると言った際、大抵の人が「それで食っているのか」という質問をしてくる
仮に食っていた場合、その次に来るのは「いくらくらい儲かるものなのか」である
極め付けは「当たったらでかい」
もはや意味がわからん

仮に音楽を仕事にしている人がみんな自分がしたいことをしているかどうかは別である
自分たちのやりたい音楽だけをしてそれをお金に替えれている人は一体どれくらいいるのだろう
もしかしたら、ほとんど皆無である

これが別の芸術にしてもそう
ほとんどの場合がそれ一本では食えていない

しかし、音楽大学や芸術大学などで教鞭を取っているとなる少し違って、世間は急に認める
実際には大学教員であってアーティストかどうかは別である

結局のところ、ほとんどのアーティストは自分が作りたい作品を作ることと収入は別物としている

話を戻して、音楽で食っているという話の場合
音楽で食っているからアーティストかどうかというのはまた別問題なのである

例えば、売れているミュージシャンも自分が作りたいものを作って売れているかは別で、プロデューサーやらなんやらに売れるものを作るように言われ、時には自分の意向とは関係のない他人の手を入れられて作品が作り上げられて世の中に出される

それに耐えきれなくなってやめてしまう人も多い

話が無駄に長いので結論に進もう

アーティストとは、時代や収入、人の評価などに左右されず自分の意思決定を指針とした自分が表現をしたいことをする人がアーティストなのである

そらそうでしょ、何言ってんの?
と思うかもしれないが、そうではないからあえて唱えている

アーティストすらサラリーマンと化してしまう時代に、本当にアーティストとして生きていくことができるのか
生きていくということは、アーティストとしてどうお金を稼ぐかということではない

僕はすべてを削ぎ落として、最低限の生活の中で自由気ままに生きる選択をした
すなわち、頼まれ仕事はできるだけせず、自分のやりたいことを優先して生きていく
世捨て人まではいかなくても、結局いつの時代もアーティストとはそういうものなのだろう

答えはわからない
この先後悔もあるかもしれない

それでも、僕は僕が思う答えを求めて自分の問いに向かい合いたい
ある意味で、これは僕のアーティスト宣言

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