見出し画像

芸術ってなんなんのよ?

芸術とはなにか?
という無謀な問いについて考えた

学生時代授業でアンケートを取ったことがある

ベートーベンの音楽は芸術か?
YES or NO or どちらとも言えない

坂本龍一の音楽は芸術か
YES or NO or どちらとも言えない

チャップリンの映画は芸術か?
YES or NO or どちらとも言えない

ジブリの映画は芸術か?
YES or NO or どちらとも言えない

多くの答えは、
ベートーベンの音楽は芸術だけど、坂本龍一の音楽は芸術ではないし
チャップリンの映画は芸術だけど、ジブリの映画は芸術ではない

この他にも、いくつか質問はあったが忘れてしまった
同じ問いを今やると答えは違うだろう

この結果が何を表しているのか
それは、芸術とはある程度の時間を要するものなのだということだ
ベートーベンだってチャップリンだって、当時は新作で芸術かどうかはわからなかったはずだし、自分は芸術を作ってるんだー!という気持ちはなかったと思う

ベートーベンにおいては、芸術という概念ができるずいぶん前の人だけど

今度、音楽と心理学のトークイベントを一緒に行う臨床心理士で公認心理師のポンくんと昨日話していて、「美しい」とは何かということも心理学の分野ではしばしば議題にあがるという話をしていた

フィギアスケートのフォームが美しいと感じるのはなぜか?
といったようなことらしい

「美しい」というのは確かに抽象的で限定的な感じはする
こと芸術においては「美しい」は重要ではないが「美意識」は重要であり、それは毒々しかったりグロテスクなものでも「美的センス」という範疇で捉えられる

非常に難しい

しかし、話は一つの結論に向かう
自然を見て美しいと思うことはあっても芸術だと感じることはない
芸術的だと感じることはあるという話になった

よく使われる「〜的」、これは断定されていない
「芸術的」であるということは「芸術ではない」ということである

すなわち、自然が芸術ではないと多くの人は感じているのではないか
ここから見えてくるのは、芸術は人為的なものであるということ

星空を見上げて「芸術だね」という人はいない
しかし、星空をキャンバスに描けば「芸術だね」となるのである

長い西洋音楽の歴史において、演奏はコンピュータのような完璧な演奏を目指すものであった
音程、リズムなど、どれだけ正確に機械のように演奏できるのか

しかし、今や機械で簡単に完璧な演奏を再現できてしまう時代
機械の演奏を芸術だという人はいない
機械のように演奏できる人間の技術や感性が芸術なのだ

長々しいので結論をまとめてしまうと

ある何かしらの基準があり、それを超えた超人的なテクニックレベルを持っていて誰の目から見ても洗練されている状態
そして一定の時間を経過しているものを「芸術」というのだ

マンガの「ワンピース」を芸術とは言わないだろう
しかし、手塚治虫さんのマンガは芸術と言われるレベルにきている

戦後、マンガは子どもが読むとバカになると言われることもあったわけだ
しかし、それも通り越して芸術だとなるのはまさにそういうこと

ピカソだって、子どもが描けそうな絵描いてるけど、ちゃんとしたデッサンができる上で、構図や構成を少しずらしたりすることで芸術として昇華させている

だったら、ジャクソン・ポロックはどうなのよ?
と突っ込まれそうだな

いらぬところで思い出してしまった
そういうものも中にはある

これだけ能書きを垂れながら思うのは
僕はジャクソン・ポロックが好きなんだ
根拠もなく直感的に「良い!」って思うものがいいのだよ
ワトソン君

誰かがやっちゃったら、あとは誰がやってもパクリ
みたいなアイデア一個で完結しちゃうみたいなのも時として芸術

「芸術」と「アート」
同じ意味でも少しニュアンスが違うように受け取れるのはなぜだろう
これはまたどこかで考える機会があればいい

で、結局、芸術ってなんなのよ?

ジャクソン・ポロック貼っとこ


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?