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『他者の靴を履く』を読んで 2024/5/17

こんばんは。お引越しが落ち着いて、ようやく趣味生活を再開できているももこです。
今週読んだ一冊は、『他者の靴を履く』著:ブレイディみかこ です。


さらに言えば、人間は顔が見える人(知っている人)の靴は履けても、顔が見えない人たちの靴はあまり履こうとはしないものなのだ。

他者の靴を履く  p24

さらに、他者の表情や仕草からその感情をおおよそ正しく想像することができなければ、エンパシーなど働かせようがない。

他者の靴を履く p46

ゴフマンによれば、人間は「日常」と呼ばれるステージに赤ん坊として生まれてくる。人間の「社会化」とは、他の人々から自分に割り当てられた役柄を演じることだ。わたしたちは他者とともに生活する中で自分の役を確立する。言い方を変えれば、他者との関わりの中で自分の役割を作り、他者にも役割を与えるのだ。

他者の靴を履く  p56

他者の靴を履き、自分以外の人々も慮って行動したほうが、結果的には自らのためにもなる。つまり、「利他的であることは利己的であること」というパラドキシカルなリンクがここでも浮かび上がってくる。

他者の靴を履く  p75

これなんだな、と思った。つまり、自分で自分のことは何とかする「自助」と、誰からも支配されない「自立」は別物だ。なんとなれば、政府に言われる「まず自助でやれよ」は、そこからすでに国家から命じられる支配が始まっているのであって、言い方を変えれば、国はあなたがたから税金を徴収しますがあなたたちを助けることはしません、ということだ。

他者の靴を履く p107

彼女はエンパシーを磨く方法やそれを指導力として活かす方法を指南しているが、その中に「勝つのをやめて、聞くことを始めろ」という項目がある。曰く、「自分の気に入らないことを誰かが言うとき、わたしたちはあまりに容易に自衛的になったり、相手の議論をとがめて勝とうとする。でも、わたしたちがそれをすると、誰のためにもならない」。

他者の靴を履く p121

脳内の鏡に他者になった自分を映し出す(中略)というのではなく、他者との距離を保ちながら自分の靴を脱いで他者の靴を履いてみる。

他者の靴を履く p131

エンパスには、他者にとっては素晴らしい友人になるとか、直感に優れ(他者が信用できるかどうかが瞬時にわかる)、寛大で懐の深い人物であるとかいう長所もあるが、本人にとってはけっこうつらい人格なのだという。友人や周囲にいる人々が経験していることをリアルに感じすぎてしまうからだ。不安や憎しみなど、他者が抱いているダークな感情に自分自身まで振り回されるようになり、自己と他者の線引きができなくなって、無理じゃないかと思うことまで頼まれるとやってしまう。

他者の靴を履く p139

しかし、平時の「共存」とも「共生」とも違う、緊急時の「共生存」のユートピアは日常が戻ってくると姿を消す。代わりに表出してくるのは、対立である。それぞれが生存の危険を感じない状況では、人間は相互扶助をやめてしまう。

他者の靴を履く p156

他者の靴を履ける人は、他者にも自分の靴を履かせる人でなくてはならないからだ。

他者の靴を履く p181

例えば、このわたしなど、本など出版されるようになったのはアラフィフになってからだ。自分がこの年になって物書きになっていようとは、30歳や40歳の頃には考えてみたこともなかった。明日、何が起きるかなんて誰にもわからない。だから、恐れずに突き進め、それしかない。

他者の靴を履く p188

フロイトにいわせれば、愛はリビドーの発現であり、リビドーは他人に向くこともあれば(愛)、自分自身に向かうこともある(自己愛)。このように愛と自己愛とは、一方が多くなれば他方がそのぶん少なくなるという意味で、たがいに排他的である。

他者の靴を履く p211

(中略)こうして子どもの成功は親の成功となり、子どもの失敗も親の失敗になってしまうので、親がすべての決断を自分で下し、子どもを従わせようとする。子供には失敗を経験する権利があることを認めなくなるのだ。これなどは、他者の靴を長いこと継続的に吐きすぎて、本来の持ち主に返さなくなっている状態だろう。

他者の靴を履く p247

感想↓
「エンパシー」という言葉の意味について深く知ることができた。仕事でも「他人との境界」ということを意識し始めていたこの頃だったので、まさに運命的な出会いだった本だ。
中でも私が一番印象的だったのが、「エンパス」のお話と、「ヘリコプター症候群」のお話。
エンパスとは、他人との境界が無いあまりに他者の痛みも喜びも自分のことのように感じてしまう、というもの。エンパスという言葉が無かったら、私自身この症状があることに気づけていなかったかもしれない。やはり他人はどこまで行っても他人だし、極論家族なんて一番近い他人だと最近になって思う。(冷めてる?)
けど、適度な距離感って難しいよね。近かったら近かったでなんか言われるし、遠かったらあの人は冷たいとか言われるし。距離感が上手い人って私はまだまだ羨ましいと思うな。意識してこう、他人との距離感。
あと、ヘリコプター症候群ってのは子供が好きすぎる親のことで、まるでヘリのように上空から子供の安全を確認するような一種の過保護。
これも気持ちはわかるけれど、親になったらヘリは下りないといけないな・・・と私もこの本を読んで気づいた。
職業柄子供を預かることが多いのだが、本当にいろいろな保護者さんがいる。もちろんまだヘリに乗っているような方とか、共依存だなという方とか。それがいいとか悪いとかでは私が言う立場ではないと思うけれど、いかに上手に子供や他者と距離感をつかんでいこうかと改めて感じた本だったし、論理的でとても腑に落ちた。
いままでの疑問にはこんな命名?が付いていたのか、とか。そういうことを言語化してもらえるだけで、自分のもやもやがすっきりするってこともあるんだね。
ブレイディさんの本は本当に読みやすくて、私は大好きです。

明日は友達と映画に行く!
一週間お疲れさまでした。






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