伊佐爾波神社の境内社ー高良玉垂社と素鵞社


 高良玉垂社(こうらたまたれしゃ)は回廊内の北側に鎮座しており、社殿は重要文化財に指定。祭神は武内宿禰命です。武内宿禰(たけうちのすくね、たけしうちのすくね)は、景行天皇14年(成務天皇と同じ日の生まれとされます)に生まれ、第12代景行天皇から16代仁徳天皇までの5代の天皇に仕えたとされ、長寿の代名詞のような人です。また、紀氏▪︎巨勢氏(こせうじ)▪︎平群氏(へぐりうじ)▪︎葛城氏▪︎蘇我氏といった中央有力氏族の祖とされています。『日本書紀』によると、武内宿禰の誕生について、景行天皇が紀伊国に行幸して神祇祭祀を行おうとしたが、占いで不吉と出たため、代わりに屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおごころのみこと)を代わりに派遣しました。命は阿備柏原(あびのかしわばら、現▪︎和歌山市相坂か松原)に9年間滞在し、その間に紀氏一族の娘の影媛(かげひめ)との間に出来た子供が武内宿禰です。武内宿禰が最も活躍するのは神功皇后の時代で、皇后の補佐役として活躍します。仲哀天皇が急死したときには、神功皇后と謀ってその死を隠し、秘かに天皇の遺骸を穴門に運び埋葬しています。また仲哀天皇の死を知った仲哀天皇の息子の屓坂(かごさか)皇子と忍熊(おしくま)皇子が反乱を起こしますが、その反乱を鎮圧しています。武内宿禰は仲哀天皇と神功皇后の側近でしたから、二人の道後温泉への行幸にも付き従ったかもしれません。それで伊佐爾波神社に末社として祀られているとも考えられます。高良玉垂社の元宮に当たるのは、福岡県久留米市御井町(みいまち)1番地の高良山に鎮座する高良大社(こうらたいしゃ)です。筑後国一宮。式内社(名神大社)で旧国幣大社。高良玉垂命(こうらたまたれのみこと)神社、高良玉垂宮(こうらたまたれのみや)とも言われます。祭神は正殿に高良玉垂命、左殿に八幡大神、右殿に住吉大神を祀ります。高良玉垂命の正体についてはさまざまな説があります。江戸時代には武内宿禰に比定されていましたが、明治以降は、特に比定せずに高良玉垂命となっています。伊佐爾波神社では、高良玉垂命を武内宿禰として祀っています。
 素鵞社(そがしゃ)は、前の2社に比べると社殿は小さく、また文化財の指定も受けていません。参道石段中腹南側に鎮座しています。祭神は素盞之男命と稲田姫命(くしなだひめのみこと)。出雲崗神社の祭神と同じです。素盞之男命はいろんな神格を持って登場してきます。イザナギが黄泉の国の穢れを祓うために禊をしたときに、天照大神、月読命とともに誕生します。高天原で乱暴を働いたために追放され、出雲国で八岐大蛇を退治して天叢雲剣(草薙剣)を手に入れます。八岐大蛇の餌食となるところを救った稲田姫と結婚します。素盞鳴命と稲田姫命を祀る神社は一般的には八坂神社と言われます。かつては祇園社とも呼ばれました。本社は京都祇園の八坂神社です。こちらの祭神は素盞鳴命と櫛稲田姫と御子神です。八坂神社ではなく素鵞神社と称する場合があります。素鵞神社で道後温泉の近くにあるのは、伊予郡松前町大字中川原(なかがわら)字木下50にあります。祭神は建速須佐之男命。この神社は古代より高忍日賣(たかおしひめ)神社の末社として鎮座しており、近世までは祇園社と称し、明治時代に現社名に改称しました。高忍日賣神社は松前町徳丸(とくまる)387にあります。また、松前町大字横田(よこた)424にも素鵞神社があります。

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