誰かに言った言葉は自分に返ってくる。そして、それはかつて誰かが自分に言ってくれた言葉だったりする。
最近、高校生と話していると、相手に向かって言った言葉がそのまま自分の胸に刺さることがある。
たとえば、次のようなこと。
・全部自分でやろうとするのは、「チームの仲間を信頼していない」ってことを態度で表しているようなもの。それでいいチームってできるのか。役割がある方が、チームメンバーにとっても居心地がよいこともあるんじゃないか。
・自分のやりたいだけで、周りを巻き込むのはエゴじゃないか。自分の想いが伝わった分しか、他者は動いてくれない。直接想いを伝える努力してる?
・叱ってくれる人がいるうちが花。大人になったら、育てようとしてくれる人は周りから減っていく。仕事なら、できなければ関係を切られることだってある。
・本気で向き合っていたか。本気で取り組んだ中での失敗からじゃないと学べない。
・何かあったら一緒に謝るつもりで、「自由にしていいよ」って言えていたか。自由だけど何があっても責任は自分でとってねというのは、時としてただの無責任な放任じゃないか。
かなり自分の色がついていて、必ずしも世間一般の正論ではないのかもしれない。
それでも自分が大事にしていることだからこそ、相手に言いながら、今、自分はそれができているかと胸がちくちくする。
そして、よくよく考えてみると、これらの言葉は表現は違えど、これまでの上司や先輩から言われた言葉だったりする。
今でも覚えているのは、初めて自分がチームを任せてもらったときに、先輩が言ってくれた「信頼して任せて、失敗したら尻拭いをするのが上に立つ人の役割だ」という言葉。
上司と部下ではないけれど、仕事の後輩や高校生と向き合うときには、いつもこの言葉が頭に浮かぶ。
今は遠く離れていても、私の仕事はかつての先輩たちに支えられていることに気付く。
私が高校生に言った言葉も、いつか巡り巡って、知らない誰かに届くのだろうか。
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