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いつもちょっと足りないと思う気持ち。

「生きてるっていうのは、いつもちょっと足りないって思うことさ。何気に足りなさを探し続けちゃうんだ」
そう言って、僕が十五歳の頃、父親は一人旅に出た。
父親は、自分が感じる「欠乏」や「後悔」を埋め合わせに行くという名目だったのだろうが、その頃の僕は、父親が家にいないという、満たされない気持ちを感じていた。

いつもちょっと足りない。
欲しかったスマホを手に入れた頃には、今度は欲しい服が出てくる。それを手に入れた頃には、彼女が欲しくなり、彼女が出来ると、一人の時間欲しくなった。もう少し、刺激的な時間を増やしたいと考え、またそれを手にした時には別の「足りない」が出てくる。

父親は、僕が高校二年生の頃に戻ってきた。「もう、金が足りないんだ」と言った。母親には随分と、お金を渡していたから「文句ないだろ」と家を出ていたのに、「まあ、自由も飽きたし働くさ」と言っていた。

「結局、後悔は埋まったの?」
「後悔は埋まった。けれど、また別の足りなさが出てくる」
「今度は何?」
「後悔が埋まってしまったという虚しささ」
「それじゃ、いつまでたっても幸せになれないじゃない」
「逆に言えば、それが幸せってことさ」
僕にはさっぱりわからなかった。

父親が言うように、僕はずっと物足りなさを感じ、そして、過去の物足りなさに対する渇望は、しっかりと叶っていたのに、やはり足りない。

僕は母さんに訊いてみた。
「母さんは何か足りないって思うことない?」
「足りない?」
「そう、満たされていないって気分」
「そうねぇ、そんなこと考える暇がないかも」
「そんな忙しいの?」
「忙しくはないけど、好きなことばかりしているから」
「ふーん」
母さんは好きなことをしているんだ。と思った。
ネットを見て、食事を作り、買い物に行って、手芸をやる。
そんな一連の行動を想像し、僕はまた「ふーん」と思った。

僕の「足りない」は、結局、満たされない。きっと、満足する勇気がないんだと思った。

実は足りている。それを認める勇気のなさ。
大学の卒業旅行は一人旅にしてみようと思った。
気が済むまで、足りなさを感じれば、また、足りていることに気づくかもしれない。
父親が「足りなかったものは、忘れた頃に叶っている。忘れているから、叶ってることに気がつかない。そしてまた、別の足りなさばかり見続ける。バカだろ?」
と言っていた。
僕はそれを思い出し、

「バカだね」と呟いた。

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