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大人と一緒に暮らしてたときに、世界の片隅の匂いを感じる。


夏休みに泊まりに来ていた父親の友人のおじさん。
全部で四泊した。
実は、その父の友人のおじさんは、逃亡中だった。
父親がかくまっていた。

もちろん、僕はそんなことを知らずにいた。

「いくつになった?」
「十五歳」
「じゃあ、もう立派な大人だな。おじさんのこと覚えているか?」
「覚えてない」
「そっか」

僕の隣の部屋で静かに文庫本を読んでいたおじさんは、廊下を歩いてる僕に話しかけてきた。

「お父さんの知合いですか?」
「ああ、同級生なんだ。同じバスケ部」
「そうなんですか」

僕はお辞儀して、自分の部屋へ戻った。
特に会話はしなかった。ただ、読んでいた文庫本が、村上春樹の「ノルウェイの森」だった。
僕が先週読んだ本だった。

そのまま、特に接点はなかった。
僕は顔を合せなかったし、外に出たり、部屋にこもっていた。
両親も、おじさんと接点を持たせようとはしていなかった。
ただ、「ノルウェイの森」の話は少ししたい気もしたけれど、誰かと共有するというのも嫌な気もした。

五日目の朝、出ていくおじさんを見送っている両親に気がつき、僕も顔を出した。
「じゃあな」
「あ、はい」
おじさんは、父親に、
「こいつ、俺のこと覚えてないんだってさ」
と、言って笑った。
「なんだよ、都合がいいじゃん」
と、父親も笑っていた。

随分たって、あの時のおじさんが、横領の容疑で追われてて自首する前日まで家でかくまっていたんだと、父親から聞かされた。
「文庫読むまでだからってさ、ここにいたんだ」
そう言っていた。

相変らず、僕はそのおじさんと以前会った時のことは覚えていないのだけれど、あの夏休みに『覚えていない』と話した記憶だけは、今でも忘れられないでいる。





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