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筑波山アースダイビング(もっくん珈琲を応援してますその三)

もっくん珈琲のクラウドファンディングを絶賛応援しています。

もっくん珈琲が立地するのは、筑波市の大曽根地区というところですが、ここは筑波台地の北端でして、ここからの筑波山と小田山の眺めは最高なのであります。

もっくん珈琲の二階から筑波山と小田山を眺めて、ふと気付いたことがありました。

今、筑波市の「周辺地域」と言われる地域からの筑波山の眺めはどこも抜群だということです。

これは全くの根拠ない話ですけど、平安奈良鎌倉の頃に筑波台地に人が住み始めた頃、最初にここだと思った人達は、筑波山を眺めて、あぁここいいなと思い、そこに神社を建てて、集落を作り始めたのではないかと思っている。

関西から移動して来たとして、筑波台地からみた山の稜線が京都奈良に何となく似ている。筑波山と小田山の眺めとそこに吹く風の感じが、あぁ落ち着くなと思ったのではないか。
筑波山の眺めのよい場所からこの街の第2の歴史が始まった、というのが僕の仮説だ。
(筑波山麓の北条や洞下などの桜川低地はもっと早くから人が住んでいた。こちらは山や川の恵みがもっと豊富だった。山麓がこの街の歴史の第1のスタートだ)

筑波台地の北端の大曽根からの眺め。

桜地域の古来からの眺め。

妻木からの眺め。

(妻木の写真撮ったついでに元副市長の細田さんに会ってきた。超豪邸 笑)

筑波台地の南端 真瀬からの眺め。(少し遠いが筑波山がよく見える)

このように、筑波市の周辺と言われるところはどこからも筑波山が綺麗に見えて、小さな川があり、田畑が耕せて、地盤は頑丈で、昔から人々が住むのに適していた。
(ちなみに311の時に我が家は全く被害がなかった。)
今回写真とってないけど、上郷とかもきっとそうだ。

ちなみに京都奈良の山の稜線。山に囲まれてどこからも山が見える。

筑波研究学園都市が建設された筑波市の中心は広く平らな土地だ。

ここは昔は農作にも住むにも適してなくて不毛な土地だった。だから何百年も人が住んでいなかった。(つくば市の中心をディスっているわけではない笑)

しかし、多分、カビの生え方とか多分家の持ち具合も中心の昔湿地だったところと周辺の台地では違う。現に筑波大学の廃墟となったとある宿舎はまだ建築数十年でとてもカビ臭い。

仮に僕が不動産屋だったら、筑波市の中心部よりも周辺部の方の土地を高く値付けしたいくらいに、筑波市の周辺や辺境と言われるところは実は豊かなところなのである。

僕の住む真瀬に八坂神社を作り、この地域を治めていったのは、平安の頃に京都から来たという高田さんという人だ。八坂神社の裏に立派な墓がある。

ちなみに玉取にある一の矢八坂神社にも同じく高田さんの墓がある。一の矢神社はもともと高田さんの氏神様で、今の神主さんも高田さんというらしい。
筑波台地の南と北の離れたところだ。

さて、本件もっくんの話からうちのじいさんが死ぬまでにやりたかったことの真瀬の神社再生の話に移ろうとしているが、これは次回に譲ることにする。

今回のブログをまとめると、もっくん珈琲が大曽根地区の筑波山の眺めのよいところで珈琲屋さんを始めたことにはとても大きな意味があって、これはもっくん珈琲を応援しないわけにはいかないのである。

https://readyfor.jp/projects/mokkuncoffee


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