
8月31日の夜に。
〜夏とぼくは終わる〜
困ったことになったぞ?
いつの間にこの日になったのだろう。
僕は、カレンダーを睨めつける。
逆さに見てみる。
変わらない。
広げた真っ白なものを眺めても誰がやることもないだろうことはわかりきっている。
隣では優雅にアイスを食べながらテレビなんかを見ている奴がいる。あ、ゲームを始めやがった!!
くそう
くそう
僕がやりたかったとこをやりやがってる!!
そっと襖を開けるとそこには母が立っていた。見なくてもわかる、その息遣いはきっと…うん、閉めよう。
僕はまた真っ白なそれを眺める。
やるか、とりあえず早くに終わりそうなものから片付けよう。ドリルとかどうだろう。
うん、わからない!!
答えは、ないな。まいったな。
でもやった痕跡さえ見せておけばいいだろう。
んああ。
適当がどのくらいなのか当たりがつけられない。計算ドリルは閉じて、漢字ドリルの方へと移行しよう。これは書き写すだけだろう。
ああ、急激に書き順が増えやがった腕がもげる。手首が、指が石のように動かねえ。
くっっ、やるしかない。
時計の秒針が妙に心臓に響く。
いっせいのせ!!
嘘だっっ!!もう一時間も経ってるじゃないか!!終わるか?終わるのか?
加勢だ!加勢が必要だ!!
隣室の様子を伺う、魔王はいなそうだ。
「たーけー」
極上の猫撫で声で我が弟を呼び出す。
『たけ』は横目で僕を見ると薄ら笑った。
血が頭に駆け巡るのをなんとしても抑えなくてはいかん、大人になるのだ。
「あのさ、手伝って」
「ん」
「え?」
「はあ」
ため息をつきやがった。こいつ生意気だぞ!覚えておけよ、覚えておくだけでかまわん。貴様の兄は心が広いのだ。宇宙よりも、そう無限。無限だぞ。
「だよなー、えっとじゃあアイスおごるよ」
目線がテレビ画面のままだ。
いかん、これでは交渉即刻決裂だ。
「じゃあ、じゃあ、オレの特別なシールをやる!キラキラしてるやつ」
まだ欲しがる気か!?
「わかったよ、ゼウスやる」
「じゃあ、ゲームお前からやってもいいよ。一週間くらい」
まだか、まだ来ないか。
「んじゃあ!!次の小遣いでお前の好きなもん買ってやる」
「何を?」
「よっちゃん」
「のった、ついでにカツもな」
持つべきものは我が弟。
ちなみに我が弟は二卵性ってやつだ。
小躍りしながらオレの現状をみて顔色が変わった、そして時計を見る。
「お前これ…キャベツも入れろ」
「んな!お前それは…」
僕も時計を見た。そうだな、そうしよう。
「キャベツは半分こでいいよな?」
「仕方ねーな、オレの方が多めにしろよ」
「御意」
僕は早速、算数ドリルを渡す。
今、ゴンザレスは買い物に行ってる。とにかくお前はこれを書き写しとけ!!
「合点」
渡されたのは絵日記。
そうだ、だいたいお前とは同じだったよな?
絵とか文章とかはうまく変えろよ?
ああ、こいつは将来社長とかになりそうだ。
そしたらオレ雇ってもらうよ。
やがて薄暗くなる和室に電気が付けられる。
僕たちは一斉に顔を上げる。
ゴンザレス…
バレた、まずい。
彼女は眉間にしわを寄せ、口を開きかけた。
わかってる言いたいことは大いにわかるけどもだ、これはもうどうしようもないんだよ…
言い訳を用意するために脳味噌をフル回転させようとスイッチを入れるところでため息の音と共に「頑張りなさいよ」という言葉。
唇をかみしめた。
冬休みこそは、たけを見習おう。
今は目の前の課題を片付けることが最優先だ。
弟と目が合いうなづく。
なんとしてでも終わらせるぞ!!
夕飯の香りがする。
今日はカレーみたいだ。僕は母さんのカレーがこの世の中で一番に好きだと伝えに行きたい。
うん、やめよう。
「終わったぞ!」
勇ましい声にたまらなく抱きつく。
「次はどれだ?」
「漢字ドリル…と、自由研究???」
「ドリルは貸せ!それから朗報だ、自由研究はオレの自由研究に名前を連ねてやる」
ああ、我が弟。
頼りになるそしていつまでもついていくよ。
「お前はしおりを見て漏れがないか確認しろ!!」
「…わかった」
「日記、まずは日記が先だ!!」
「うん」
山のようにどっしり構えた弟が誇らしい。
涙を堪えて日記を書く、あと一週間に到達した。もう少しだ、もう少し。
案外、僕はやっていたようで漢字ドリルがあっという間に終わったようだ。
「はあああああ」
と大きなため息をつく弟の声が聞こえたのかすかさず母さんが静かに入って来た。
「キリがいいところで食べちゃいなさい」
待ってました!!
腹の虫が大暴れしているところだったのだ。
うう、五臓六腑に沁み渡る。
カレーがこんなにもうまい食べ物だったなんて知らなかった…母さんこれうまいうまいよ。あっという間に平らげおかわりを告げるために皿を持ち上げた瞬間だった。
「ああ!!!!!!」
この世の終わりのような叫び声を出してしまった。母も弟も同時に僕を見た。
「ど、ど、ど、どうしよう…」
二人は同じ速度で顔をしかめてきた。
その顔は僕の次の言葉がそうでないことを祈りすがるそれだった。
「あの、さ…」
「まさかとは思うけど」
母はチラリと僕らの机が並ぶ方へと目線を移動させた。折り目などなく美しいままの君よ。
「読んでない?」
誰も見れるわけもなく僕は小さくうなづいた。
二人のため息はカレーの湯気と一緒になって夏の夜に消えた。
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