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【地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島 メンバー紹介:石川秀和】

『地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島』(以下:サポーターズ)について知ってもらうにあたり、メンバーや活動紹介を毎月行っています。地域おこし協力隊(以下:協力隊)の皆さんへメンバーの想いを届けることで、顔が見えるようになり、少しでも相談しやすい体制ができたらと思います。

第4弾の記事はこちら

今回は株式会社まちの灯台阿久根』・代表取締役の石川秀和さん(阿久根市地域おこし協力隊OB)の想い(第1〜4章)について紹介していきます。

ゼロからのスタート

石川:元々僕は京都で古い建物のリノベーションを軸にした会社の経営をしていました。一言で言えば、リノベーションをきっかけにまちに新しい空気感を作る。そんなことをしていました。

しかし、京都である程度実績を残してきて、世の中の状況をみていると「自分が必要とされている場所でまちづくりの仕事をした方がいいのでは?」と思うようになってきたんです。

そんな時、運営していた拠点の1部屋を四国で協力隊として活動していた友人が借りることになりました。友人の活動する姿を見て触発され、協力隊の制度に興味を持つようになったんです。

その後、調べていくうちに東京で地域おこし協力隊の募集と移住のイベントが開催されることを知り、足を運んでみることにしました。

株式会社まちの灯台 石川秀和

石川:会場へ行くと、多くの自治体が法被を着て元気な声でPRをしていました。その中でも雰囲気が地味で元気がない自治体があったんです。それが阿久根市でした。

担当職員と話をしていると、協力隊制度を初めて活用するということもあって、まだ右も左もわからない状態なイメージでした。

それでも「初めてはいいな」と思いましたし、具体的なミッションが決まっていない中で仕事を創らせてもらえることに魅力を感じて阿久根の協力隊を選択することにしました。

元々、パートナーが東日本大震災の被災者であったことや僕自身が被災地の復興支援もやっていたこともあり、九州に行く選択肢は何となく脳裏にあったので、それも大きかったと思います。

市と地域に対するそれぞれのアプローチ

石川:協力隊に着任してすぐに大きな壁にぶつかることになります。それは僕たちが仕事や事業を作っていくために必要な企画に対する予算が無かったことです。

企画を通したとしても、1年目ではそれができず、翌年度に予算がつく状況でした。3年間しか時間がないのに、予算がないから何もできない。そして、1日1日が過ぎていく。それを想像したら、とても恐怖に感じました。

そこで、自分なりにまちの総合戦略や総合計画を全部読み込んで、それらに紐づく企画書を提出しましたが、それでも1年目の予算はつきませんでした。

僕は元々民間の会社を経営していたので、目の前にある課題をすぐ改善して業績を上げていくことが頭にありました。

だからこそ、それができないことはもどかしい気持ちがいっぱいでした。時には怒りをぶつけることもありましたが、少しずつ市と向き合いながら、自分たちのやりたいと思ったことを形にしていきました。

石川:市だけへのアプローチだけではなく、市役所の外にも出て、阿久根市内のたくさんの地域を回りました。

僕たちのキャリアでできるお手伝い、例えば、パッケージデザインの提案や地域の魅力開発などお手伝いをしていきました。時には農作業をしたりも。地域住民の皆さんとコミュニケーションをとることは特に意識していたかと思います。

その中でも、大川地区の皆さんと川遊びやボンタンに関するプロジェクト、古民家リノベーションで拠点を作るプロジェクトにも参加させてもらいました。

そこから、色々なプロジェクトに声をかけてもらうようになり、まちの人との信頼関係を作りながら、まちの気配が少しずつ変わっていくのを肌で感じるようになってきて。次第に阿久根に対する愛着も湧いてくるようになりました。

まちの灯台阿久根で運営している『PORTTOWN COFFEE ROASTERS』

地域資源を諦めずにリビルドしていく

石川:僕自身、協力隊時代は「どうにかしないといけない」といった気持ちが大きくて、市に対して強く意見を言っていた時期もありました。

でも、それが僕にとっての一番の失敗だと思っています。「人は暴力では動かない」って。言葉も暴力になりえますからね

確かに民間のみで動いていれば気持ち一つでできることはあります。でも、市と関わりながらまち全体でみた時に、市職員の皆さんの力も必要不可欠だと気付きました。

まちづくりは一人ではできません。「じゃ、どういったチームで、どのメンバーで動いていくか?考えていくか?」と考えた時、地域資源として市職員も地域の人も大きな財産ですし、その両者が手を取り合わないのは非常に勿体無いと思いました。

だから、僕は「自分のそのときの気持ちのまま行動するはやめよう」と決めたんです。

石川:協力隊の卒業前に観光連盟を解散し、民営化させ、まちの未来を本気で想う25人と一緒に株式会社まちの灯台阿久根(以下:まちの灯台)を設立しました。

地域資源の活用だけではなく“組織のリビルド”という点で観光連盟が一番可能性があると感じていました。

新しい組織を作るのではなく、元々あった組織に新しいレイヤーや役割を与えること。それは建物のリノベーションと同じで、地域資源を諦めずに再生していくことの意味を直感的に感じていました。

設立までにはクリアしないといけない壁がたくさんあって、心が折れそうになることもありました。それでも、その壁をクリアできたのは味方になってくれた阿久根の人たちがいたからこそだと思います。

もちろん、3年間で築き上げた実績もあると思いますが、何より一緒に動いてくれて本気で阿久根の未来を想っている経営者の生真面目さに感動したんです。

だから、そういった人たちと一緒に阿久根のまだ光が当たっていない部分にスポットを照らしていきたい、将来阿久根に戻ってきたいと思っている人たちにとっての目印になりたいと思うようになりました。

阿久根へおいでよ

石川:まちの灯台では協力隊の受け入れも行っています。僕自身が経験してきたことを踏まえて、市役所の外に中間組織を設置した方が良いと考えたからです。市役所の中にあると色々制約もあって、協力隊にとって動きづらさもあります。

そこで、まちの灯台が受け入れることで、ある程度制約も緩和されますし、代表である僕自身が協力隊経験者なので、行政側と協力隊側の視点で両者に話ができると思うんです。

モチベーションがあって協力隊になった人たちの気持ちもわかるし、行政側も色々な事情がある中で動いてくれているので、その両者をフォローしながら事業の制度や達成度を上げていけたらと思っています。

そうすることで、これから阿久根で「働きたい」と思い、この地へやってくるであろう協力隊の人たちに「阿久根へおいでよ」と胸張って声をかけられる体制を作っていきたいです。

石川:以前、とあるエリアから相談を受けて、そこの協力隊の相談を受けたことがあります。正直言って、散々な状況でした。

僕はある程度キャリアや年齢を積んでいるので、協力隊時代に市に対して自分の主張をすることができましたが、そこでは若い人が「おかしい」と主張することができない現状を目の当たりにしました。

その時「僕自身の経験を活かして、困っている協力隊の支援を可能な範囲でしたい」と思ったことがサポーターズに関わることになったきっかけです。

協力隊はスーパーマンではありません。別にメディアや多くの人が注目する取り組みをしないといけないわけでもない。

例えば、地域で引きこもっていた人がいたとして、その人と心を通わせてまちに出るきっかけを作るだけでもすごいことだと思うんです。光が当たるかどうかで優劣をつけるべきではない。

まずは気軽に珈琲を飲みに阿久根に来るでもいいし、そこから色々お話できたらと思います。ただ、話を聞いてみないと何が問題かはわかりません。

話を聞いて、それでも「どうにもならない」と思ったら僕が代わりに問題があるところに意見を言いに行くし、辛くなったら「阿久根へおいでよ」と声をかけたい。そういうスタンスで臨んでいきたいです。

(終わり)

・話し手:石川秀和
2015年に京都市から阿久根市へ地域おこし協力隊として移住。得意領域はリノベーションとコミュニティデザイン。協力隊退任後、阿久根市観光連盟事務局長に就任。2019年4月に「お帰りなさいをつくるをコンセプトに同観光連盟を民営化。自主財源による町おこし活動の持続化と若者が働きたくなる町づくりを目指し日々奮闘中。

・取材・執筆・撮影:上泰寿(編集者)

【お問い合わせ先】
地域おこし協力隊サポーターズ鹿児島事務局
お問い合わせフォーム:https://forms.gle/D3JN2SyiEWkyk68D6
メールアドレス:okosapo.kagoshima@gmail.com

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