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『キリスト教保育誌』より 香りの賜物

このnoteは、香雅堂のショップマネージャー 酒井さんが『キリスト教保育誌 第619号 2020年10月』に寄稿した文章を全文転載したものです。(写真およびそのキャプションはnoteにて追加しています。)クリスチャンとして生きる彼女が、和の香りとキリスト教の感覚をゆったりと結んだ素敵な文章です。ぜひごゆっくりご覧くださいませ。(香雅堂 代表 山田悠介)

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日常生活の中で、香を焚く(スティックタイプのお香や香木、アロマなど)のはどのような時でしょうか。掃除の後、ヨガや瞑想の時、寝る前、出勤前や気合を入れたい時、そして静かに聖書を読みたい時など、、、。これらに共通するのは気持ちのスイッチを切り替えるという役割を香が果たすということでしょう。五感(視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚)のなかで唯一、嗅覚だけが感情・本能に関わる「大脳辺縁系」に直接伝達される、という説明を受ければなるほど、とうなずけます。

たとえばスティック香を焚くとき、私はいつしか煙が立ち昇るのをぼぉ~っと見つめています。ほんの少しの空気の波動で変化する煙のかたちを見つめながら香を味わっていると、次第に心のざわつきが鎮まり無になっていくのがなんとも心地良く感じられます。

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香りのリラックス効果、癒し効果については、日本において1990年代以降のアロマテラピーの急速な普及とともに広く知られることとなりました。しかし、古来より香は神への捧げものであり、日本へは5~6世紀ごろ仏教とともに伝来し、「香を焚く」という文化は「祈り」や「清め」という概念とともに、どこか懐かしい記憶を日本人のDNAに刻み込んできたのではないでしょうか。私自身、若いころは西洋の香水をつけたり、アロマに凝った時期もありましたが、年齢を重ねるに従い日本の伝統的な香りのほうが何故かしっくりと落ち着くようになりました。

日本における香の歴史は、室町時代になると「香道」という日本独特の文化に発展し、現代まで脈々と継承されています。「香道」とは、ごく簡単に説明すると「伽羅」や「沈香」という高貴な香りを放つ貴重な香木のわずか3ミリ角ほどの小片を焚き、その香りの違いを当てて楽しむという雅な遊びです。自然が作り出した香木の香りは単一・単調ではなく、さまざまな香りの要素を含んでいます。香道においてはその香りの要素を五味(ごみ)と呼ぶ「甘い・酸っぱい・辛い・苦い・鹹い(※しおはゆい=汗に似た香り)」に分類し、香りを鑑賞する基準としています。

香木の繊細な香りを鑑賞するという文化は、出汁の微妙な味の違いを判別するのにも通じる日本人独特の感性によるものかもしれません。ひとつの香木には基本的に五味のうちの複数が組み合わされて存在しています。それらの集合体であるハーモニーとしての香りと、五味の各要素を手掛かりに鑑賞するのですが、目を閉じて沈黙のうちに香木の香りに集中するとき、色のイメージが浮かんだり、思いがけず遠い記憶の箱が開いたり、自然の神秘をありがたく感じたり、穏やかに内面の変化が生じるのが判ります。大変興味深いことは、香道では香りを「嗅ぐ」ではなく「聞く」と言い表すことです。

「香り」は鼻から入っていくのにもかかわらず、「聞く」と表現することに初めは違和感を覚えるかもしれません。この由来は諸説あると言われますが、香りを深く味わううちに、やがて周囲の音が聞こえなくなり、無防備な素の自分にいつまでも漂っていたいような体験を重ねると、「聞」という漢字に「物事の本質を深く理解する」という意味もあるという説明が腑に落ちるように思います。

そういえば、聖書の中で繰り返し繰り返し言われる「よく聞きなさい」も、同じ意味合いなのだな、とはっと気づかされます。香りをじっくりと聞くことで気持ちの安らぎをいただけるのはまさに神様からの贈り物なのでしょう。「火の後にかすかにささやく声(列王記上19・12)」に耳をすますように、香りのメッセージを感謝しながら注意深く聞いていきたいと思います。

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キリスト教と縁の深い香料。左から「乳香」と「没薬」

編集協力:OKOPEOPLE編集部

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