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魔性のボリュームゾーン

ふとした時に周囲を羨むことありませんか?

何となく劣等感を感じることはありませんか?

もっと頭が良ければぁ、と思うことってありません?

もしくは天才に生まれたかったな、とかね。

もやしは割と頻繁に思います。

自分が思い描くコト・モノを的確に具現化できる能力が欲しい。

まさに今している書き物なんてのは最たるものです。

面白いと思ったアイディアを、ワクワクして書き始めてもきちんと思い通りの形になるのはごく稀です。

ああでもない、こうでもない、と悩んだ挙句に『普通』の枠内に収まってしまいます。

足りないのは意外性なのか、普遍性なのかは分かりませんがね。

そんな一般人のもやしが、現実に天才性を得られた場合のことを考えてみたわけです。

その結論は『意外に生きづらいんだろうな』というもの。

ということで。今回は『賢さ』についてのお話しです。

さて、大前提として。

たまに突出する人物が現れたとしても、人の能力には基本的に限界があります。

チーターの速度で走れないし、空を飛べるわけでも、水中で呼吸もできません。

この辺は完全に生物のスペックなので、できる人が居るなら、種から逸脱した突然変異でしょうね。

……フィクションにある『裏の世界』とかでは日常かもしれませんけれど。

といった冗談はさておき。

ほとんどの事柄には平均値もしくは中央値にボリュームゾーンが存在します。

また、そこから遠いほどに少なくなっていくわけですね。

たとえば『走る』こと。

身体的に異常がなければ、さほどハードルが高いことではありません。

けれど同時にオリンピックに出れられる人は一握りで、その中でも突出した一人だけが金メダルを獲得できます。

要は分厚い『普通』の上下には、希少な一握りが存在するよというお話です。

当然、上振れが激しい人ほど天才的というわけ。

ところでIQが20違うと会話が成立しないとよく聞きますよね。

賛否両論様々あるようですが、もやし的には『そりゃそうだろう』と感じています。

そもそも共に同じ能力値を持っていても、人それぞれ持てる知識と技術には差があります。

たとえば同一IQのSEと弁護士が、それぞれの得意分野を説明したとして、きちんと理解し合えると思いますか?

相手にとっては初耳で、初見の技術や知識を披露されても面食らうばかりですよね。

このように知識量と技術力に差があれば、見ている景色は全く異なります。

そもそも性格・人格が違うので、相性なんてものも存在しますからね。

それがIQの差にまで及べば、遥かに難易度が高くなるのは予想がつきますよね。

たとえばゲームを思い返してください。

昔のドット絵と現在の本物と見間違うほど緻密なグラフィックは明らかに違うものです。

同様に、説明できる内容の細かさは歴然です。

この状況下で『同じものを表現しろ』と言われれば、その絶望の深さがわかるでしょうか?

もちろんそれぞれに利点はあります。

ドット絵の場合は『詳細がぼかされる』ことによって想像を掻き立てます。

グラフィックの場合は『緻密に描く』ことによって没入感を得られます。

あくまで技術的な使い道なので、このこと自体に上下はありませんからね。

さて、IQは100前後の割合が一番多く、先ほどの話と同様に上下に離れるほど少数になっていきます。

そしてこの『IQ20が違うと会話が成立しない』が非常に厄介です。

どういうことかと言えば、100の人は80以下と120以上と。

同様に80であれば100以上、120の人は100以下の人と分かり合うのが難しい。

つまり、自身がいくつのIQであっても、意思疎通が困難な人が一定数発生することになります。

そう、低くても、平均でも、高くてさえ、この問題は発生するのです。

低い人は物事の解像度が低くて詳細がわからず、高い人は高精細すぎるがために話がかみ合いません。

低い場合は理解力が足りないわけですから、その事実はわかりやすい。

けれど逆に著しく高い場合はどうでしょうか?

実は難しいのです。

どのIQ帯の人が、全く同じ『結論』を出しても、同じとは限りません。

想定している『過程』は、当人のIQによって解像度が全く違うからです。

たとえば将棋。

もやしのように一手先を考えるだけで精一杯なのと、何十手先までも対策を取れる棋士が居たとします。

互いに同じ一手を指すわけですが、その一手の重みは遥かに違います。

だから、まかり間違って素人が差した『謎の一手』が、先を読み過ぎる神算鬼謀の棋士を降参させるかもしれません。

そんなところまで読めているはずはないんですけどね。

このように、何を考えてその答えに行きつくか、どれだけの想定を行っているか。

頭の中身をお互いに見せ合うことはできません。

そうして決められた結果に邁進する天才たちの過程は、多くの凡人は理解できません。

さっきの将棋のように、何十手先まで読んだ上の一手ではありませんからね。

つまり、多くの凡人からすると『無意味な過程』を突然始めたように感じてしまいます。

ではここで質問です。

バイトが自分が指示した通りに動いてくれません。

貴方ならどうします?

A:指示通りにやらせる

そりゃそうですよね。

仕事を頼んだのに『何いきなり謎の遊びを始めとるんじゃ!』って思うのは仕方ありません。

しかもこれって自分からIQが離れている、上下の全方位に対して感じる感想なんですよ。

そう、自分よりも遥かに能力が……今回はIQが高い人であっても『無能』なのです!

やばさが伝わってきたでしょうか。

頭が良すぎて理解されず、何なら逆に馬鹿に見えるって人が一定数居るわけですよ。

今まで自身を低能だと思っていた人の中には、実はとても優秀な人が混ざりこんでいるかもしれません。

能力が高くても生きづらいってことですね。

どれだけ天才であっても、理解者が居なければ無能の烙印を押されるんですよ。

天才でもあんまりいいことないかもなぁって思わされる事実ですよね。

そりゃそうですよね……いい大人が幼稚園に通わせられたら気が狂うかもしれません。

そもそも仲間に入れてもらうことすら難しいですよね。

こう考えると実は人口比率の高いゾーンって、実はめちゃくちゃ居心地のいいところなんですよね……。

共感してくれる相手に事欠かず、悩みと解決方法は簡単に手に入る。

ついでに言えば、同レベルであるからこそ『ハマる事象』がわかるというのもあるでしょう。

流行ってのはまさにのお話ですよね。

マジョリティの強みここに極まれり。

まさに『魔性のボリュームゾーン』であり、一生を楽しく過ごすには何事も平均値・中央値が最適なのでしょう。

また、これはIQの話だけではなく、どのジャンルにも言えることです。

同じ刃物でも、包丁とナイフとカッターとハサミの使い方は違います。

あくまで『用途が違う』だけであり、使い道がないわけではありません。

むしろマイノリティ(少数派)はそれだけで希少性があります。

しかし多くの場合、自身の特性を理解することは難しいものです。

他人に『変わってるよね』と言われるポイントの多くが希少性の最たるものですが、同時に本人にとっては普通です。

となれば当然、その希少性を見出すことができません。

そう、『しない』のではなく『できない』のがポイントです。

そして自分の強みを理解している人はとても少数で、実際もやしもいまだによくわかっていません。

右往左往、七転八倒しながら少しでも楽しい未来を探索中です。

ねぇねぇ、読者の皆さん。

もやしの変わってるとこって何処ですかね?

何か教えてもらえれば、頑張って武器にしますよ!

#天才の心得 #凡人 #ボリュームゾーン #考察

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