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わが家のカレンダー

最近自炊の話ばかりを書いている気がします。
実際連続三回? 四回ほど書いているわけで。
何故こんなに続くのかと問われれば、記録の側面が強くあります。

記録を残そうと思い立った最初は大きな月でめくれるカレンダーに書き込んでいました。
書き込みの手間は少し掛かるものの、可読性が高く非常に使い勝手がよかったのです。
が、一ヵ月を越えて気付きました。

あ、これ記録に残らんわ

必要なのは情報だと気付いたからです。
カレンダーの記録は、あくまで物質的に存在します。
残そうと思えば捨てられません。
消耗品であるはずの月めくりカレンダーなのに、たまってしまうわけですね。

物質は処分して情報だけを残すのならばデジタル化一択です。
そうなると最初に思いつくのは写真ですね。
スマホに搭載されているカメラで撮れば一瞬で片が付きます。
これでカレンダーと同じ可読性が手に入る――

と思いきや、一部の文字がつぶれて見えない可能性も。
むしろ書く機会がなくなったことで元々上手くなかった字は汚くなり。
ひらがな・カタカナすら怪しい現状では、自分に信用できるわけもありません。
何より写真(画像)では検索ができません。
デジタルデータの最大の強みが使えなければメリットは半減以下ですよね。
となると残るは文字入力……?

いやいや、待て待て。
カレンダーに直筆で書き、翻訳しながら文字入力し直す?
さすがにそこまで手間は掛けられない。
かといってスマホのカレンダーに書き込むのも手間と可読性を犠牲にしてしまうのでは……。

と、堂々巡りをして、八月のカレンダーが掛かったままの現在に至ります。
びっくりするほど棚上げしたまんまでしたね。
自分でもびっくりです。

書きながら思ったんですが、別にそこまで効率求めなくていいですよね。
時間があるときに一括でまとめればいいわけですし。
まぁ、それがめんどくさくてきっと続かないんですが。
本来はもっと気楽に、写真を撮って上げてーみたいなので十分かもしれません。
何事も格式ばった定型に落とし込もうとしてしまうのが、もやしの悪い癖ですね。
もっと随筆らしく、好き勝手に書けばいいのにね。

#もやしの習慣 #献立

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