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詩・散文「Natural born killers」

Natural born killers

誰かとつながり生きている支え合って生きている
喜びを分かち合ったり悲しみを拭いあったりと
それはとても素敵なことなのだ
と同時に例えばそれは
一匹の蝶の羽ばたきがその地球の裏側で台風を引き起こす因子の一つでもあるように
例えば私の些細な振る舞いは
遠く何処かで知らない誰かを踏みにじり傷つけ殺しているに違いない
環境と共に在り関係の網の目の中に生きるとはそういう事だ

Natural born killers

「するとこんな声が聞こえてくる事がある。ああ、そうなのだ。真理とはそもそもそういうものなのだ。だからそれを受けいれよ、とその声は言う。しかしそういう悟りを促すような声に私はどうしても抗ってしまう。それは何故か?そこには存在論的な責任の倫理がないから。快苦と幸不幸を呑み込んで生々流転・在るがままを受けいれよという教えは、それを自在(=自由の極北)の真理と言いはすれども、それは自在であるが故の責任を存在論として問う事をしない。むしろ問う事が迷いであり悟りに至らないのだと言ってきたりする。しかしそういう悟りならば私はいらない。私は『そういう真理が生じているという事それ自体を問いたい』のだから。これはもう「形而上学的な問い」であり、これを『問わざるを得ないという義務』がそうさせるとしか言いようのないものである。かくして責任としての『問い』は、問わざるを得ないと言う『義務』となる。では、この「問う義務」は何処から生じるのか?真理を弾劾する権利からである。それは圧倒的なこの世界の残酷さに対する弾劾の声であり、何十億年の昔から、すべて惨たらしく食われたものの怨嗟の声である。その惨たらしさへの怒りこそが、私が真理を弾劾する権利を語らざるを得ない所以に他ならない。死は老若男女に等しく訪れるが、死に方は不平等だ。しかも至極残酷な不平等だ。この不平等への共感こそが、私の、真理を弾劾する権利であり、同時に義務の根拠に他ならない」


2020年頃年 

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