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雑考・日記・メモ「『もののかたり』と『物語』の事」

「もののかたり」と「物語」の事

「もののかたり」はそのつどの「もの」との対話である。
それは単なる「出来事」である。
そしてこの「出来事」の痕跡が収集されるとそれは「記録」となる。
さらにこの「記録」に意味が付与される事でそれは「歴史」となる。
しかしこの「歴史」には意味が付与されてはいるが、「目的」は付与されてはいない。
そうして、「歴史」に目的が付与される時、歴史は「物語」となるのだろう。

ところで「口承(≠口承伝承※1)」は「物語」に向かわない。
「口承」は、「ものとの対話(=出来事)が記録される」と言う上記の過程を通らずに、記録ではなく、「人との対話」に向かう道を選ぶ。
この選択によって、「ものとの対話」は痕跡化される事なく(=記録化されることは無く)、痕跡化されないので形を持たず、形を持たぬ故に、その語りの変容が許容されていく。
それ故それは意味を持たず、目的を持たない変容の過程そのものである。
そうであるが故に、即ち口承とは物語に背反する語りそのものなのだろう。

※1 「口承」は「伝承」と結んだ時点で、型が志向されてしまう。この型への志向が目的化した時「口承」は「口承伝承」となる。しかし「口承」は「口承伝承」とは異なる。「口承」は型ではなく常に内容を志向するのだから、型を伝える事には関心がない。それは都市伝説の様に、目的をもたずに変容しつつ広まる「内容」そのものであろうから。

2022年2月1日 岡村正敏



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